中国政府に抗議する為、チベット族僧侶等による焼身自殺が相次ぐようになった。
 
昨年以降、焼身自殺を図ったチベット族は96人に上っている。」
 
 
この報道を聞く時、次の事が思われてならない。
 
 
1963年、南ベトナムサイゴン(現ホーチミン市)のに於いて、衝撃的な事件が起こった。
 
交差点に止まった車から降り立った独りの僧侶が、当時の政権に抗議の為、アメリカ大使館前で自らガソリンをかぶっり、ゆっくりマッチを擦(す)った。
 
彼は、人々の見つめる中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐(れんげざ)を続け、一切苦悶の表情や声を出さず、絶命するまで4分間その姿を崩さなかった。
 
この衝撃的な事件が、カメラを通じて世界中に放映され、国内外の仏教徒に大きな影響を与えることとなった。
 
 
彼の名は、ティック・クアン・ドックという。
 
 
ベトナムでは仏教徒として出家する際に、手やひじの一部を燃える線香に当てて身を焼き、出家後は一切衆生が救われるための修行に励む事を誓う儀礼がある。
 
その誓いを全身を焼く事によって確認したのが「焼身供養」であった。
 
 
苦しむ人のために我が身を差し出す事は、慈悲行の究極の姿なのだ。
 
「慈悲」とは、相手の苦しみをわが苦しみとする事ができる宗教的精神の事である。
 
 
それは、世間で言う同情の比ではない。
 
 
仏教徒の焼身自殺は、とりもなおさず、自己より他者を思い、自らを犠牲にした、尊いパフォーマンスなのである。
 
 
そういう宗教的行為を、俗世界の価値観を持って批難し、批判していく事は、決して肯定されるべき行為ではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1