本日の朝日新聞の天声人語に、
 
【 月を指(ゆび)さしているのに、肝心の月を見ないで指ばかり見ている。
 
つまり、目の先のものにかまけて、ことの本質に目が向かない。
 
分かりやすいからか、似た例えは世界にあるようだ。
 
親鸞にも「汝(なんじ)なんぞ指をみてしかも月をみざると」のくだりが ある 】
 
とある。
 
 
この度の田中真紀子文科相をめぐる大学認可の騒動に喩えるのである。
 
田中大臣の発言(指先)ばかり見て、指の先の月(大学認可制度)を見ないことになる。
 
我々一般に者が考えても分かりにくい。
 
認可もされていないのに、新設大学の建物が造られて、募集活動が行われること自体がおかしいではないか。
 
準備万端整ったのに、認可されないのは困るって言うのであろう。
 
認可された後に準備をするのが順番ではないのか。
 
そこには、大学の本来を忘れ、商業ベースの乗せられた在り方が見えてくる。
 
そして、裏工作ありきが浮き彫りにされるのである。
 
 
こういった社会の在り方を問題にすべきなのである。
 
 
 
外国人がよく言う事に、
 
「日本人は、ものの本質を見ようとしない。」
 
という事がある。
 
 
反省しきりである。