1986年4月26日未明、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所(原発)の4号炉の爆発事故により、隣国ベラルーシ共和国も風向き加減により被爆しました。
1993年から昨年まで18年間、延べ91人のベラルーシの子供たちの健康回復を図る目的で、毎年、日本に招き、北海道旭川市の自宅(お寺)で預かり、多くの支援者の方々と1カ月間の「保護里親」を続けておられました。
30数年、反対運動を歩んでこられた氏は、法衣に身を包み建設中の原発のゲート前アスファルトに座り込んだり、断食を以て反原発を訴えてこられました。
「仏道があらゆるいのちの視座に立つなら、いのちに反する原発には反対していくことが当然」語っておられました。
そんな最中、今回の福島の原発事故です。
「だから言ったじゃないか!」って私なら思うでしょうが、氏は、率先して被害者への支援、問題点の発掘と啓発活動をされております。
頭が下がります。
『私たちが、あらゆる「いのち」の視座に立つ仏教徒ならば、宗祖の遺弟に連ならんとするならば、今すぐに、両瞼に、いっぱいの涙をためながら立ち上がろう。
弱者の視座に立ち、木や草や鳥や魚や虫たちになり代わって声を出そう「原発は、反いのち」と!
原発を止め、廃炉にし、すべての放射能が消える10万年近い長い長い時間を、何世代も何百世代も恐怖の中で待つ覚悟をしながら!
そして、未だ見ぬ、未来の子たちに謝罪しつつ。南無 』
人間が欲望のままに幸せを追い求めてきた結果がこの様である。
(20世紀に何をしてきて、21世紀に何を残そうとしているのか。私たちは勇気を持ってこの写真を見なければならない!)
欲を抑えて、足ることを知ろう!