
今日は、お釈迦様がお亡くなりになった日です。
今から約2500年前の紀元前386年2月15日のことでした。
床に「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」を掛けてみました。
お釈迦様が、沙羅双樹(さらそうじゅ)の下でお亡くなり(入涅槃)になった際の姿を描いたものです。
頭を北にして、面は西を向き、右脇を下にした姿で臥(ふ)し、周囲に釈迦十大弟子を始め、諸菩薩、天人、動物、鳥類、虫類などまでが嘆(なげ)き悲しみ泣いている様子が描かれています。
涅槃(ねはん)とは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄(めいもう)のなくなった心の境地、即ち永遠の安泰(あんたい)を指す言葉でありましたが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられています。
そこで思ったのですが、何故彼らは悲しんで泣いているのだろうか。
お釈迦様が亡くなったということは、涅槃に入られたのであるから、素晴らしい、喜ばしいことであるのに、何故泣くことがあるのか。
彼らは、お釈迦様が亡くなったことにより、自分はもうお釈迦様の話が聞けない、もう会って話をすることが出来ないことを嘆き悲しんでいるということなのです。
彼らは、決して、なくなった人(お釈迦様)のことをかわいそうだと思って泣いているのではないのです。
人は、他者の死によって、もうその人に会うことができない自分がかわいそうで泣くのです。
人は、自分のためにしか泣くことが出来ないものなのかもしれません。
そういえば、友人が急死した際、彼の夫人は、
「なんで私がこんな悲しい目にあわなければならないの。」
って、泣いてたっけ。