現代は、色んなところで価値観の多様化がいわれている。
 
例えばファッションにしても、長いのもあり、短いのもあり、ピタピタもあれば、ダブダブもある。
 
個性を認め合うことは、何でもアリって事なのだ。
 
そんな中、年長だというだけで敬ったり、持ち上げたり、、遠慮などしなくても良いという風潮が目立ってきた。
 
いわゆる、悪しき平等意識を持つのである。
 
 
「敬語」を使わない、いや使えない若者達が多くなったような気がする。
 
上座下座を心得ない人達も多くなってきた。
 
 
買い物に行っても、若い子達が行く店の店員は、敬語を使わない。
 
まるで、友達みたいに喋り掛けてくる。
 
敬語を使わない方が親しみがわくとでも思っているのだろうか。
 
単に、無礼なだけである。(世が世なら、切り捨て御免である)
 
 
英語をはじめ、諸外国の言葉には敬語はない。
 
日本語にだけある敬語に今の若者達は、反発があるのか、使おうとはしない。
 
 
あえて云うなら、敬語は、リクルートの時だけ使っているようにも思える。
 
(マニュアル化された、妙なコンビニ敬語という新しい言葉も出てきている。)
 
 
喫茶店でも、レストランでも、ホテルでも壁を背にして座る人を見て恥ずかしくないのかと思うことがある。
 
 
 
価値観が多様化し、敬語が使えないと、自分のポジションが分からない。
 
ポジションが分からないと、人から言われたことを「上から目線」と受け取ってしまい、見下されたという屈辱感を味わうことになる。
 
又、自分も「上から目線」と思われたくないので、新たに「丁重語」と呼ばれるような下から目線の言葉づかいをする。
 
その事を知る大人達も、鳩山前首相以来、野田首相にいたるまで、徹底的にそんなしゃべり方で通している。
 
 
しかし時としてそれは、卑屈で耳障りな言葉づかいと批判されるのである。
 
 
今一度、正しい日本語、即ち「尊敬語」、「謙譲語」、「丁寧語」を学び直すべきではないか。