人は、ひとりで生きているのではない。
 
いくら真面目に暮らしていても、筋を通していても、間違ったことをしていなくても、真っ当に生きていても、時として、周りの者の責任問われるときがある。
 
そして責任を負わなければならないときがある。
 
 
人は、自己を押さえ、他者のために生きると云うこともある。
 
 
それが人と人との繋がりの中で生きているって事である。
 
 
地縁、血縁、友人、職場等の人間関係という社会性をもった中で共に生きているからである。
 
 
一方、本来、人はひとりで生きている。
 
「人は、独り生まれ独り死んでいき、独り来て独り去っていく」
 
という、誰にも変わって貰えない、又、変わってやることも出来ない孤独な存在なのである。
 
 
「人」という字は、支え合って立っていると云うことを表している文字である、というように云われている。
 
しかしそれは間違いである。
 
「人」という字の元来は、ひとり踏ん張って立っている、ということを表す文字なのである。
 
 
人は、本来孤独であるにもかかわらず、社会の中で、他者の心配をし、他者の世話をし、他者の責任を負って生きているのである。
 
 
この人の存在の内包する絶対矛盾を抱えながら生きているのであるが、ときに、その絶対矛盾(ギャップ)に耐えられなくなるときがある。
 
 
ちょうど、地下プレートが存在し、それが少しずつずれていき、限界を超えたときに大地震が発生するように、その絶対矛盾(ギャップ)が限界に達したとき、自身の存在をも否定するようなことが起こりうるものである。
 
 
なんと悲しい出来事であろうか。