梅雨最後の雨だった先日、『本当に生きた日』城山三郎著を読んだ。(晴耕雨読、本当は晴球雨読?)
 
城山氏の作品は、経済小説、歴史小説、戦争小説が代表的であるが、女性を扱った小説もあるのだと買ってみた。
 
38歳の主婦が、友人に誘われ、ビジネスの世界に足を踏み入れる。
 
初めて退治する社会に戸惑い、さまざまな冒険を重ねながら、仕事とは何か、家庭とは何か、幸福とは何かを考えていく。
 
女性の生き方、女性のサクセスを求める状況を描いたものだ。
 
中々面白かったので、一気読みしてしまった。
 
 
 
その中に、サクセス(成功)を求めるビジネスウーマンが、主婦を仕事に誘うシーンで、次のような一節がある。
 
 
 
「よく聞いて。マスローという人が、人間は5つの欲求が満たされなければ幸福ではない、と言ってるのよ」
 
「五つ?」
 
「そう。その一つが生理的欲求。飲んだり、食べたり、排泄したり。つまり、健康ということね。二つ目が安全の欲求。三つ目が愛の欲求。これらは説明しなくても分かるわね。問題は残りの二つなの」
 
「それで十分だと思うけど、まだあるの」
 
「そう。それは、自己実現の欲求と尊敬の欲求よ。つまり、自分らしいというか、自分ならではの何かをやりたい。そうして差をつけることで、人に認められ、敬意を払ってもらいたい、というわけ」
 
「・・・・・」
 
「本当の幸せとは、この五つがそろって満たされることなのに、普通の女たちは、前の三つだけで満足してしまっているのよ」
 
 
 
どう思いますか?
 
そもそも、本当の幸せって、自分の欲求が満たされることなんでしょうかねぇ。
 
ならば、永遠に欲求なんて満たされないんじゃないでしょうか。
 
だって、次から次へと、止めどもなく出てくるのが欲求なのですから。
 
だから、「まっ、ここらで満足しとかなきゃぁ」っていうことなら、幸福って妥協(だきょう)じゃないですか。