
あまりにも惨事が大きすぎ、拡大しすぎて、思うことを喋ることさえ、その軽々しさに心が重くなります。
被災者にかける言葉もなく、非力な自分を恥じることもなく、ただただ私生活に埋没している私がいると思うと自虐的にもなります。
16年になります、阪神淡路大震災。
瓦礫(がれき)の山であった神戸の町並みは、見た目には復興しました。
ここまで来るには、なみなみならぬ努力がありました。
しかし神戸では、人々は手をつなぎ、支え合い、協力しあってきたのです。
人は1人ではなくて、みんな繋(つな)がっていることを実感しました。
被災者にかける言葉もなく、非力な自分を恥じることもなく、ただただ私生活に埋没している私がいると思うと自虐的にもなります。
16年になります、阪神淡路大震災。
瓦礫(がれき)の山であった神戸の町並みは、見た目には復興しました。
ここまで来るには、なみなみならぬ努力がありました。
しかし神戸では、人々は手をつなぎ、支え合い、協力しあってきたのです。
人は1人ではなくて、みんな繋(つな)がっていることを実感しました。
無縁何てあり得ません。
全ては有縁社会の中に生きているのです。
まだまだこれからだけど、全ての人々が、東日本に意識を向けて復興を願いましょう。