
上郡出身の偉人、大鳥圭介(おおとりけいすけ)墨蹟展が、行われました。
以下、赤穂民報より。
幕末から明治にかけて軍学者、外交官などとして活躍した上郡出身の偉人、大鳥圭介が残した書の数々を紹介する墨蹟展が11月15日(月)から上郡町釜島の西光寺(多田満之住職)で開かれる。
上郡町教委によると、大鳥圭介は1832年(天保3)、赤穂郡細念村(現上郡町岩木丙)で代々村医者の家系に生まれた(※天保4年生まれとする説もあり)。岡山県の閑谷学校で儒学を学んだ後に赤穂の蘭学医、中島意庵に師事。大坂・緒方洪庵の適塾などで兵学、西洋医学のほか幅広い知識を身につけた。
幕末には幕臣として陸軍の近代化を進め、明治維新後は新政府の高官として殖産興業、外交に貢献。工部大学校(現東京大学工学部)の学校長も兼務し、多くの技術者を世に送り出した。79歳で亡くなるまで生涯詩書に親しみ、「如楓(にょほう)」の雅号で多くの書を残している。
墨蹟展は遺筆を長年収集してきた多田住職が、今年100回忌を迎えた圭介の遺徳を偲ぼうと企画した。40代以降の筆跡を中心に、戊辰戦争中に書した七言絶句「五稜郭」、晩年近くの作とみられる「福壽無量」など掛軸約30点を展示。伊藤博文、桂小五郎など同時代を生きた人物の書も数点並べる。
「戦争中に書かれた文字は太く荒々しく、年を取るごとに細く落ち着いた書体へと変化が感じられる。その時々の心情が書に表れているようで興味深い」と多田住職。「一字一句を味わいつつ、郷土が生んだ偉人の足跡を振り返ってもらえれば」と鑑賞を呼びかけている。
11月20日(土)まで。
上郡町教委によると、大鳥圭介は1832年(天保3)、赤穂郡細念村(現上郡町岩木丙)で代々村医者の家系に生まれた(※天保4年生まれとする説もあり)。岡山県の閑谷学校で儒学を学んだ後に赤穂の蘭学医、中島意庵に師事。大坂・緒方洪庵の適塾などで兵学、西洋医学のほか幅広い知識を身につけた。
幕末には幕臣として陸軍の近代化を進め、明治維新後は新政府の高官として殖産興業、外交に貢献。工部大学校(現東京大学工学部)の学校長も兼務し、多くの技術者を世に送り出した。79歳で亡くなるまで生涯詩書に親しみ、「如楓(にょほう)」の雅号で多くの書を残している。
墨蹟展は遺筆を長年収集してきた多田住職が、今年100回忌を迎えた圭介の遺徳を偲ぼうと企画した。40代以降の筆跡を中心に、戊辰戦争中に書した七言絶句「五稜郭」、晩年近くの作とみられる「福壽無量」など掛軸約30点を展示。伊藤博文、桂小五郎など同時代を生きた人物の書も数点並べる。
「戦争中に書かれた文字は太く荒々しく、年を取るごとに細く落ち着いた書体へと変化が感じられる。その時々の心情が書に表れているようで興味深い」と多田住職。「一字一句を味わいつつ、郷土が生んだ偉人の足跡を振り返ってもらえれば」と鑑賞を呼びかけている。
11月20日(土)まで。