ある水族館では、ピラニアの餌に、商品にならない金魚を大量に仕入れてやっていました。

その日もいつもと同じように、ピラニアの水槽に金魚を放つと、ピラニア達は元気よくはねながら、一気に金魚を食べていました。

ただ、いつもと違ったのは、保育園の子供たちが遠足に来ていたことでした。

水槽の前の子供たちは、可愛い金魚が食べられているのを見て、声も出ませんでした。泣き出す子もいました。


次の日に、水族館に沢山の電話がかかってきました。

「何て可哀想なことをするんだ。金魚を食べさせるなんて。何て可哀想な事をするんだ。子供たちがショックを受けたではないか。」

と言った類の苦情でした。

そこで水族館は思案の末、金魚の代わりに、ドジョウを与えることにしました。


ある日、保育園の遠足が来ていました。

餌の時刻が来たのでいつものようにピラニアの水槽にドジョウを放ちました。

ピラニア達は元気よくはねながら、一気に金魚を食べだしました。

それを見ていた園児達は、「わぁ、すごい!」と、手をたたいて喜んだそうです。


金魚なら可哀想。ドジョウなら何ともない。


私達は、見た目の違いで、本来同じいのちを同じように見ることが出来ないって事があるのですね。


恥(は)づべし、傷(いた)むべし!