平均寿命が上がり、世界の長寿国だと言われることで、見えなくなっているものがある。

一つは社会生活、そして政治への不満である。

毎年発表される平均寿命が上昇することで、日本はまんざら悪くはないという思いが無意識のうちにわれわれの頭に刷り込まれてしまう。

社会生活に不満があっても、長生きできる日本はそれなりに素晴らしのではないかという満足感が現体制を無意識のうちに支持させてしまう。

そこには、国家体制のコントロールが介在するのである。

平均寿命が毎年のように上昇しなければ、どこの国の政府も几帳面に発表はしないだろう。

国民の社会に対する不満は、世界一の長寿国だとの思いで無意識のうちに隠されてしまうという側面がある。



もうひとつ見えなくなるものは、本当の幸福だ。

年々平均寿命が上がると、どんどん長生きしている気がしてきて、80歳以上生きることは人より幸せなんだと思い込んでしまう。

長生きだと思えればそれも幸せなことだと思われるかもしれないが、これは大きな間違いだ。

単に長生きをすることが幸せにつながると云うことはない。

長生きしたばっかりに、最愛の子、孫を弔(とむら)わねばならないということもある。

人である限り、人としての苦しみ(人間苦=四苦八苦)を否応(いやおう)なしに受けていかなければならないからである。

もし150歳まで寿命が延びたとしたらどうであろう。

その社会は、80%の人が寝たきり老人である。



人間の究極の欲求は不老長寿だと言われている。

しかしそれは、幻でしかないことも確認しておかなければならないのである。