今月14日,元東京都知事の鈴木俊一さんが、99歳で死去された。

その都葬が28日、東京都港区の青山葬儀所で行われ、国会議員や都庁関係者らが最後の別れに訪れた。

石原都知事をはじめ、田中良都議会議長、鈴木さんに後継指名されながら95年の都知事選で落選した石原信雄元官房副長官、鈴木都政の1期目に副知事を務めた野村〓市(しんいち)さん等沢山の方々が、生前の鈴木元東京都知事の人柄を讃え、その功績を賛辞し、感謝の思いを口々にした。

参加者約1000人、全ての人が個人に対して、万感の思いで深く頭を垂れたのである。



最近、「葬式なんて要らない」ってつまらない本を書いたり、言ったりする人があるようですが、それは、自分で自分の葬式のことについて言うことではなく、葬式をする側、即ち、喪主を主にした残された人が言うことです。


樹木葬、海洋葬、宇宙葬……、自分らしい葬送を探そうなどと、自分の葬式をプロデュースするなんて、ナンセンスです。


昔エライお坊さんが、「自分の亡骸は、川に流して、魚のえさにして欲しい。」って言って亡くなられたが、残された人達は、そんなことが出来るはずもなく、丁重に埋葬し、今日までその威徳は顕彰されています。


故人を顕彰せずにはおれない、みんなで送ってあげたい、みんなで最後のお別れを共にしたいって言う、故人への追悼の思いからせずにおれないのです。

葬式をしない、家族葬でいいなどと考えている人は、その人にとって、故人は大した人ではなかったのに違いありません。



故人を偲び、追悼し、自身のいのちを考えていく最良の逆縁が葬式なのですよ。



それに、葬式には費用がかかるって思っている人があるようですが、結婚式と違って、大きな葬式になればなるほど、赤字にはならないものなのです。

だって、暴力団は、葬式は派手にしますが、結婚式は、質素にするでしょう。

葬式には、興行的価値があるからです。


只、商業ベースの乗った葬式は、批判の対象にはなるでしょうけどね。