久しぶりに、「万葉集」をめくってみました。
そこには、日本古来の美徳というものが描き出されています。
約4500首の歌は、雑歌、相聞歌、挽歌に分類できます。
相聞歌は、人を愛する歌。
挽歌は、人の死と悼む歌。
前のもの以外が雑歌であります。
万葉の人々は、ストレートに心を表現するのではなく、ものに我が意を託して伝えていこうとするのです。
そこに、慎ましさ、情緒、美しさがあるのです。
今の我々が考えている「愛」というのは、近代になって西洋から入ってきた文化での概念、即ちキリスト教の愛の概念、ギリシャ神話の概念、ロマン主義での恋愛至上主義での概念が入り混ざった形で考えられています。
中でも、キリスト教の「LOVE」の概念が中心であるのです。
すなわち、「エロス」「ストルゲー」「フィーリア」「アガペー」がそれです。
愛に見返りを求める、対象の価値を求める、自分本位の愛ですね。
愛を言葉で表現して欲しい、愛を形で表して欲しい、愛を態度で見せて欲しいってせがんでみたりします。
愛情を確かめたいのです。
こんなに愛しているのに、どうして解ってくれないのか。
しかし、日本古来の「愛」というのは少し違っています。
万葉の世界でいう「相聞」が「愛」なのです。
「相」は、相手。「聞」は、聞く。
そう、私が私がと言うのではなく、相手のことに心傾けてよく聞くことが、日本古来の「愛」なのです。
あなたは、彼、彼女、子供、親、友人、隣人を愛していますか?