「わかっちゃいるけどやめられない」は親鸞の教えと同じだといった僧侶であり、労働運動や部落解放運動の活動家であった父植木徹誠氏の勧め。
「等(平等の等という字)、これはヒットするぞ。“わかっちゃいるけどやめられない”って詞はすばらしい。人間てものはな、みんな、わかっちゃいるけどやめられないものなんだ。」と言って、大ヒットを予言した父であった。
植木等本人は、酒も飲めず、大ヒットした「スーダラ節」を、“こんな歌がヒットするようじゃ日本はおしまいだ”と本気で思っていたというギャップが何ともユニークである。
「スーダラ節。あれは、凡夫(ぼんぶ)のことを歌ってたんですよ。」と、植木等は、晩年テレビで言っていた。
凡夫であるから、凡夫だからしかたがないと開き直って生きていくのではない。
凡夫であるという、慚愧(ざんぎ)をもって生きていくのである。
【慚愧とは、慚は自らの心に罪を恥じること、愧は他人に対して罪を告白して恥じること。また、慚は自ら罪を犯さないこと、愧は他に罪を犯させないこと。】