道端に花が飾られていると、ここで事故があり、人が死んだんだなぁって思いますよね。


古いネアンデルタール人を埋葬した古墳の中から、花粉の化石が発見されました。

現人類以前から、死者に花を手向ける行為は行われていたのですね。


冒頭の思いっていうのは、現代人のDNAに記憶されているのかもしれませんね。



意見を言いたいとき、何気なく右手を挙げます。決して左手を挙げませんね。

こういった行動は、自由意志によるものか、それとも、もともと決まっていたのか。

こういう問題について、哲学者と物理学者の間で激論が交わされています。

これは以前からある問いで、科学が究極まで進めば人間の行動もすべて決定論的に予測可能だ、という物理学者の考え方が優勢のようです。

しかし、哲学者はこれに真っ向から反対して、「科学がどれだけ進歩しても人間の自由意志まで説明することは絶対にできない」と主張します。

対して物理学者は、「すべての現象を科学の言葉で記述することが夢であり、それは可能だ」と主張して譲りません。


こうした両者が平行線をたどるのは、科学と哲学の境界、人間の心とは何かといったテーマは、本当に未開拓の領域なのだなとおもいます。


さて、あなたはどのように考えますか?