ようやく小学校の給食が再開。

親はホッとして、子どもは楽しみ。

でも先生の仕事がすごく増えた。

つくづく現場は大変だと思う。

 

 峠工房はまだ第2教室だけを使用してやっている。

放課後デイサービスだけでなく、峠の生活塾、放課後くらぶ、みーーんないっしょ。

もともと「分けない教育」(県知事の好きな言葉)は、峠の柱のひとつだから、50年もやって来ているけど、人員、人数、内容によっては、いろいろグループ分けするのは当然。

しかも峠には、ほやほやの1年生から、高校4年生までいるのだから、私たちがあまり手出し口出ししなくても、自然な形で島を作っている。

いざこざも多いけれど……。

でもそれもとても面白い。

 

 休校や変則登校で、いつもより長時間峠に居るのだから、面白い光景がたくさんある。

女子たちがいい気分で遊んでいる所へ、いきなり無言で入り込んで、勝手なことをやり、「入れてとも言あ内で、乱入したりして勝手にこわしたりしないで」と追い返されたり、思いもよらぬもので思いもよらないことをやり始めたり、高2のお兄さんに熱くポケモンのはなしを語り、「オレ、ぜんぜんわかんねーよ」と言われたり。

 

 見ていると、学校が再開するのが残念な気がしないでもない。

 緊急事態宣言が解除されたからと言って、急に何かが正常になるなんて思っていない。

だが、少し安心して行動できると感じた人は多いに違いない。

 峠工房はもともと自身の意思で、休む休まないを決定できる部分を持っているから、「自粛」する気は当初からなかったので、いつもりより一段と忙しかった。

 

 休まずにやってくれと要請された事業所は、たくさんある。

どこもそれぞれ苦労したことと思う。

やれと言われても、何かあった場合、その事業所の責任が問われる。

いわゆる自己責任というやつ。

「責任は私どもにあります」と言うだけで済む民間はない。

一部の特別な立場にある人だけが、言うだけで済むのだ。

 

 峠では、第2教室にまとめてみーんないっしょくたに。

消毒だのあれこれ、両方はできない。

だって、積み木のひとつひとつまで消毒するのだから、1か所に集約しないと手が回らない。

 学校が休みだから、本来ならば放課後に子らがやって来る(不登校は別だけど……)。

はずが、早い子は8時10分お迎え、遅い子は夕方7時過ぎまで。

プライベートなんてない。

お昼ご飯食べるのも忘れてしまうよな日もあり、苦心した。

そんな怒涛のような日々が、きちんと行動計画作る暇もなく進行し、子ども達が喜んでくれるのをエネルギーにして、なんとか突っ走った感じがする。

 

 なにしろ、遊びスペシャリストの峠の面々、近くの公園で水のぶっかけっこ、風呂敷包み作って棒にさして「旅人ごっこ」草むらの虫取りに、などなど室内の遊び(部屋を分散)以外にも楽しめることを子ども達自身が工夫した。

学校生活が平常に戻るまでにまだまだ子どもと先生がたの苦労は続くと思う。

現場のがんばりにささえられているのだという事を、ずーっと上の方の人達に知ってもらいたい。

 

 われわれ民間機関峠工房は、開所しつづけても、現実的に肢体不自由とか「公共交通機関」を使うなど、来ることが無理な場合の子もいて、2か月後には確実に給付金収入が減るという問題を抱えている。

考えると気が重いのだが、「ボクはもう1年生なのだから限界の壁を超えるんだ」なんて言われると、そっかー、限界の壁超えたいねーいいなあ、1年生と思う。

ちなみに超える限界の壁って、朝ママに起されなくても起きることだそうで、そういえば私も限界の壁を越えなきゃならない朝が続いている。

そして、ストレス満杯になりそうな、越えられるかどうか心配になってしまう限界の壁も……。

これって目覚まし時計ではどうにもならないんだよね。

 夕方迎えにきたFGきょうだいのママ、「大変よ先生、お店にトイレットペーパーがないよ」

 買占めだそうだ。

トイレPとマスクの材料が同じだから、トイレPが無くなるデマが流れているらしい。

 ママは友達から電話で、「だから2万円トイレPを買った」と言われた。

そんなバカなと、来る途中でスーパーをのぞいたら、ほんとに棚がからっぼだったそうな。

 

 なんというバカバカしさ。

マスクの材料と同じだなんてそんなことを本気にする人が大勢いるなんて。

2万円?バッカじゃないの?

 

 もうひとつのデマは、中国から輸入が途切れるというもの。

 「今はほとんどが古紙100%か混入の国産品だよ。包装を見ればわかるじゃん。なんでそんなことに右往左往すうの?」

 それで、みんなで紙の材料のことや、どうやって紙を作るのか、パルプ繊維のこと、トイレットペーパーとティッシュペーパーの違い、などにわか学習会になった。

 「鼻かむ時に、フン!ってやったらティッシュがやぶけて、手にべっとりハナ汁がついたらどうよ?ウンチしてお尻ふいたらトイレに流すよね。神が詰まっちゃったらトイレ使えなくなるよ。ティッシュは丈夫に、トイレットペーパーは水に流れやすい様に作れているんだよ。だから原材料の種類もちがうんだよ。おとなの人に教えてやりな!!」

てな調子。

 

 ねぇみんな、正しく知って、正しく行動して、正しくこわがろうよ。

※コロナ騒動でブログどころではなくなる発端の、2月の話です。

 

 ゆうべ食事の支度をしながら聞いていたラジオのニュースに思わず「なんだとー!
!」

 6時、安倍総理が「全国一斉休校、学童保育等も休み」と言ったのを聞いた。

確かにそう言った。

 こりゃー大変なことになる。突然そう言われても。

 

 夜、スタッフのんちゃんと電話で、「という事はウチ等も休めってか?」「もしかしたら、肺炎で死ぬ人よりも、事業が立ち行かなくなって首つって死ぬ人の方が多いんじゃない?」

大変だよ。

ムリでしょ。

 

 案の定、今日の新聞には早くも、発言内容とは違う「要請」なるものが載っている。

「学童保育等は休まずにやってもらいたい」by文科省。

他にも、厚労省も何か「要請」していた。

でしょ?だってあまりに突然だもの。

 

 峠工房は、2頭だててやっているから、従わなくても良い部分が堅持されるけど、その枠でやれば親の負担が増えざるを得ないから、やはり影響は大きい。

 要請って、お願いしますってことだ。

だから普通にやるけれど、子どもや親は困るだろうな。

 たしかに、コロナ肺炎はじわじわと広がってきていたし、怖いな、あぶないなとの懸念は持っていた。

 次から次へと学校行事が変更、中止になり、子ども達も混乱している。

 

 4日前に、休みの連絡してきたCちゃんは「いろいろ変更やなんかがあって、もう疲れちゃって」と言ってるうちに泣けてきてしまい、中学生最後の日々が、とんでもないことになっているつらさが伝わって来た。

「いいよ、家でゆっくりして、いっぱい泣いて元気取り戻してね」……つらい子は、ほんとつらいだろう。

感じない子は平気なだけでなく、アブナイ行動にも及ぶから、これ又困るのだ。

 

 突然3月2日から(横浜市は3日から)休みになって、卒業式とか終業式とかがどうなるかもあやふや。

気持ちが中ぶらりんのまま、小学校、中学校生活が追わr値になるのは、先生たちも複雑だろうと思う。

 「ヘエー、そうなんだ。わかると、なんだか面白いって思ってきた」

Eくんの口からこんなセリフが出るとはね。

びっくりしたけど、ういれしい。

いや感激だ。

 だって、Eくんの漢字、というよりも、みんな漢字嫌いで、ダントツは彼。

字とは言えないようなものを書いていた。

母が買ってあげたワークブックを、やらないと叱られるので、峠へ通う地下鉄の駅や車内で書いていた。

峠で遊ぶ時間を確保したくて。

覚えるはずもないし、書けるはずもない。

 

 これは彼の責任ではない。

全く彼のせいでも、障害のせいでもない。

 敢えていうなら教育の不備、学校による個別支援級の格差というか、バラツキ、というか。

つまり学校によって個別支援級に違いがありすぎるということ。

彼の通った小・中共に「差の下の方」だったと思う。

 いろいろあるけど、漢字については「先生に漢字なんて書き順なんかどうでもいい。形さえ似てればいんだ」と言われた。

彼はお調子もんで、ペラペラしゃべるが知ってる言葉は極めて少ないし、社会性も薄かった。

でも作り話をするほどの能力とズルさは無い。

だから、その通りだったと思う。

 

 障害特性が加わって、「わかんなくても」「覚えてなくても」いいだと受けとめた。

当然、「正しく書こう」とか「覚えよう」は育たない。

ワークブックは、お母さんがうるさいから(又は怒るから)書く。

たった今、前のページで書いたものも、次のページで書けなかった。

 

 で、どうしたか。

漢字が書けない、言語力が乏しい、社会性が薄い、──。

それら全部を解決するべく、作文指導で攻めた。

計8編の作文のスタートは、峠のキャンプ。

「~を食べました。とてもおしかったです」を並べた作文から始まって、8作目。

原稿用紙11枚の大作を。

中学校時代のことを書いたこの作文に、彼は「作者の過去」という題をつけた。

かっこう良すぎかなと言ってたが。

 

 自他も未分化、感情も未分化だったのが、自身の努力で開拓されてきた、記念すべき作品となった。

 

 だが、漢字習得については、土台がほとんど無いから、時間をかけて、逆戻りしたところからやり直しを続け、ようやくたどり着いたのが「わかると面白くなってきた」だ。

「そういうのを努力は報われると言うんだよ」……あ、でも意味わかんないか……。

 Pちゃんが亡くなったらしいと、Pママを紹介してくれた人から聞かされた。

 足が痛いと、突然来なくなった。

その後こどもの医療専門の病院に入院したと聞いた。

通っていた中学にも問い合わせたが当然、個人情報なので、教えてもらず中学の卒業証書も病院で受け取ったと聞いた。

 

 ルーツが外国だったけれど、Pママは障害があるからこそこの子は日本でなければ生活して行けないと熱心だった。

 「おべんきょう、やってくれますね。」何度もそう言っていた。

 当人は、「◯◯支援高校へ進学します」と、2年生時から言っていて、実際に入学が決まった時には、深くおじぎをして、「みなさまー、おかげさまで◯◯支援高校に受かりました!」……大きな声で(もっとも、あの子はいつも大声だった)報告してくれた。

 

 どうしたろう。

どうしているのか。

いくら気になっても、電話しても出ないし。

2年近くが過ぎてしまった。

 

 住んでいた地域の外国籍グループの人たちも、何も知らされていなくて、多文化共生事業のリーダーさんも、知らなかったらしい。

 足が痛いと言っていたけれど、急にヒョロヒョロ背が伸びたので、「成長痛じゃないの」なんて、私たちものんきだった。

まさか、市に至る程のなんて思わなかった。

子どもの専門病院に入院したと聞いても、「言葉のもんだいがネエ。家庭訪問にも通訳さんがついてくれるのだから」などとのん気に思っていた。

 

 相鉄線の、横浜からいずみ野までの駅名を全部言えるのが自慢で、大ずもうが始まれば、「ガンバレガンバレきせのさと」と応援し、お笑い芸人の「ふじもりさん」が好きで、たまたま見かけた工場の藤森製作所の字にさえ、どきどきしていた。

連絡帳に、「とてもおりこうでした」って書いてくださいという注文つけて来た。

 

 11月に相鉄線の渋谷直通運転が始まった時には、Pちゃんがいたら大騒ぎだよねェって笑い話していたのに。

 正確にはいつ亡くなったのかも、どんな病気で?も、わからなくて心がもやもやしている。

 わかっても彼女が戻ってくるわけじゃないけれど。

 

 あこがれの◯◯支援高校には1日も通学することなく、彼女は旅立った。

らしい……。

 いつもこの時期になると、子ども達の間でサンタさんが話題なのだ。

 「何をお願いしようか」「サンタさんに手紙を書かなくてもちゃんとわかるんだよ」とか。

 

 去年、Gちゃんは「ワタシが、こういうのほしいなって言っただけなのに、サンタさんにはわかったんだよ。」と目を丸くして報告。

Eくんは、ずい分大きくなっても信じていて、24日の夜になると、「サンタさんにお茶とかお菓子を用意しなきゃ」と接待の心配をしていた。

 

 何の疑いもなく信じられるときに丸ごと信じるのは、すてきなことだと思っている。

プレゼントの内容が、値段が高いか安いかではなく、本当に欲しかったものでなかったとしても…てnと思うのだが、今は恵まれた環境の子も多いから、特別感は薄いのかな、と思うこともある。

 子どもたちには、サンタさんを信じたくても、心から信じることができない境遇の子もいるんだということも知ってほしいなとも願う。

 

 ところで、サンタさんの由来とかクリスマスって何なのか皆知っているのかなぁ?

日本っていう所は、なんでも取り込んで、自分たち流にしてしまうから、面白いと言えば面白いんだけど……。

 12月22日の交流会の参加申込が19日なのだが、予測したというか、ほとんど宣伝しなかったので、少ない。

 私たちとしては、いつもやっている誕生会をCちゃんの受験の結果がわかったらいっしょにやろう、と思っていたので、まァまァなのだ。

 

 12月18日に、Cちゃんの高校合格通知が届いて、要するにいつもの誕生会の書き台版ということ。

ダブルおめでとうを言ってあげたいのだ。

 Gちゃん母も12月生まれだから、一緒に祝って「きもちの悪いサイフ」をプレゼントの予定だったが、22日は映画に行くということになったというので不参加。

サイフは結局クリ住まうとお正月と成人式?のプレゼントということにした。

 

 なぜママの成人式かというと、最近Gちゃんの精神的成長著しく、ママに意見をするようになって、それがまた、的を射ているので、ママは関心するやら、反省するやら、ということだ。

 今日も迎えに来た時に、反省していた。

「おにいちゃんが言ったことをちゃんとやったので、ほめて、じゃゲームやっていいよ、と言ったらね、Gに叱られたのよォ。

ママ、そんなこと言っちゃダメじゃない。そうしたら、又にいちゃんは、ゲームやるために言われたことをするっていうようになるでしょって。

つい言ってしまって悪い癖がでたなと反省したの。

Gのおかげよ!!」

その通り。

だから、ママも少し成長して成人式なのだ。

 Gちゃんがかなり前に、ママへのプレゼントを作りたいと言って、スタッフSOとあれこれ計画していた。

 ママは、キモチ悪いものが好きだから、そういう”もよう“のさいふを作りたいというわけでキモチ悪いものをあれこれ考えてリストアップ。

 

 懸命に考えたり、私に意見聞きに来たりして、9種考えた。

どれも苦労の結晶で面白いのだが、中でも秀逸が2点。

  ①しんだしたい

  ②へんなかおのこわいやつ

何回みても笑ってしまう。

 

 いろいろ材料は揃えておいたのだが、忘れていたのかな……。

 ここへ来て、12月が誕生日だから作りたいと言い出した。

気持ちが持続するようになったらしい。

 

 クリスマスを目指すか、それとも22日の交流会に渡すか悩んでいる。

 仕事が一つ増えてしまった。

 

 プー子が待っているのだ。

家でした猫、プー子。

てまりがやんちゃなガキ猫(今でもオレ様だが)だった頃、プー子は年頃の女の子。

しつこくからまれて、怒ってもひっかいても、「おネーちゃんあそぼ」でとうとう家出してしまった。

どうも、夜中に戻ってきて、物置に残っているエサを食べている形セキはあるのだが、てまりに見つかるようなドジはしないようだ。

 

 ある日、夕方に歩いて買い物に行く途中で、プー子はあのソプラノで鳴きながら、目の前に飛び出してきた。

あきらかに私と知っての行動。

元気だったか?覚えていてくれたのか?家出して2年近くになるのに!もう大感激。

 

 それから歩いて買い物に行く時は、いつもいつもエサを持ち歩いている。

買うものがなくても行く。

 そして最近、プー子はどうも私をまっているらしい。

果樹園と畑の間の道で、こっちを向いてすわっていたり、うしろから追っかけて来たり、椿の垣根の間からすっ飛んできたり。

 

 でも、行かれない日もある。

気になる。

 

 多分、近くのグループホームのどこかで寝泊まりしているのだろうが、そして残り物などもらっているのだろうが、待ってる!!と思うと心が騒ぐ。