どんなことも "ラッキー" になってく
そんなチカラが味方についたのは


まさか、信じられない
思いもよらない
飛び切りのひと言を
父が放ったトキから。

 






学生時代、人がこわくて
誰も信用できなくてさみしくて
悲しみとか 苦しみとか
虚しくて 辛くて 切なかったトキ。





小学生の当時
いつからか
友だちとしゃべれなくなって
人と話すのがこわくて
話そうとすると赤面症で
恥ずかしくて




ど緊張して
結局しゃべり出しても
どどどど、どもる、、、




そんなことがありました。
 





どこでもありますよね
無視とか
身に覚えのない
自分の嫌な噂を
頻繁に耳にするとか
(↑大人になってもありましたが)
面と向かって
嫌なこと言われたりとか。
 



キッカケは、それでした。
  





 
そういうときって

はぁ!?
んだとぉ〜っ!?!?

と、思いますよね。
 







無視は
相性や捉え方のちがいだから
そういうこともあるよね
と思えたけれど
 



そのとき、わたしがいちばん
許せなかったのは
自分や人の
弱さでした。


 


自分の至らなさや
自分自身への不甲斐なさを武器にして





自分の嫌いな人や羨ましい人
蹴落としたい人の
ウソの噂をつくり
適当に笑って話す人たちが



 
あたかも
善人のように
振る舞っていたりして
 



ほいでそれがわたしは
悔しくて悔しくて
ハラワタねじれて(笑)
相手を どつきたかったけど





やれなくてできなくて
そんな自分がまた
ふがいなくて




なにも行動しない自分が
自分に対して
自分を守れなくてごめん
と、弱かった自分に謝ってたこと。




だから
わたしが許せなかったのは
人じゃなくて、人よりも
自分。





誰かを憎いと思ったんではなく
自分の弱さが
自分を苦しめた事実を
受け入れるのが
悔しかった
 




 
そんなとき、わたしは
大尊敬している父に
洗いざらい相談しました。





悔しい!
もう学校なんていきたくない!
友だちなんていらない。
人間なんて、ワケがわからん!
きらいだ!こわい。
信じて傷つくなら
はじめから信じない!
 




とか なんとか
そんな弱さをぜんぶ
吐き出して
  
 



こんな自分を
なんとかしたい
 
 




そしたら父は
たったひと言。






『お前、ラッキーだな』
と。
  




 
はっ!?
えーーーーっっ!!!!!!

  

 




なんで?!
なにがラッキーなの!?
なにしゃべってんの!?
娘が困ってんだよ?!






 
わたしはそう思って

 



「え、なに言ってんの!?」
 と返しても







『お前、そんなこと経験できたんなら
次に誰かがたいへんなときに、助けられるし
やさしく見守れるだろ。』
と返ってきました。







 
そこでわたしは

あ〜!たしかに〜〜!♡



って思っちゃった😆
素直〜 笑

 
 




マジック
magic
MAGIC!!!



  


わたしの考え方は
あのときの父の
たったひと言で変わりました。
 





 
あのときから
なにか辛いことがあったり
悔しいことがあったら
ぜったい乗り越えられる
自分が自分を信じていれば
かならず誰かのお役に立てる
 
 



本当のことが大事







そうやって自分に言い聞かせて
ラッキーマインドが育ててきました。

 




 
最初はビックリしたけど
あのときの父のひとことが
わたしのラッキーを創り出している
はじめのキッカケだと思うと
ありがたくてありがたくて。
 





たしかに最初、ほんの一瞬は
親なのになんでそんなこと言えるの?
とか思いましたが
ほんとに一瞬でした。
 
 





それまでわたしは人を
無視したこともなければ
人の噂を流したこともありませんでした
(今もしないけど)




それなのに
そういうことをしている人よりも
わたしの方が弱いなんて
そんなワケがないっ!
ぜったいちがう
そう思ったんですよね。





むしろ
それやってるうちは
わたしのことを考える時間に
その人の人生の時間を使っちゃってるんだから
わたしにパワーを送ってることになるのか
という解釈もしました。






だから
見返してやるとか
そういうことではなくて
単純に
わたしが悔しいのは
自分が自分を責めてるからだと
氣がつきました。





で、それを
人のせいにした弱い自分
を目の当たりにした
という事実。





人のせいにしたら
自分の人生は
その対象者の方が
自分の人生に影響している
思い込んでいるということ。





自分がその人よりも
劣っていて
自分の人生を楽しむ能力がない
自分を卑下している、ということ。





人のせいにするとは
自分が価値がなく
自分をその人よりも下にして
自分が自分を弱い人間だと
自分に対して
洗脳していること。






だから、その人のことを
自分よりも自分の人生において
価値ある人間なんだと
勝手なわがままで自分を思い込ませる。





それによって
自分のことは
あいつのせいだ
みたいになって
自分との関係性がこじれてく






ようは、自作自演。







そんなカラクリ。







だから本当は
その噂も無視も
どう感じるのか、は、自分の責任。






自分の人生に起こるすべては
自分が選んで
それを実行している








それを
当時小学生のわたしに
カンタンに伝えるために
ラッキーだな
という一言ですませた
というのが、真実だと
わたしは思います。








自分で自分の考え方を疑って
そうか、わたしの捉え方が
間違ってたんだな
と思えたのは
ラッキーのハジマリだったのでしょうね。
 




日々の生活の中には
たくさんのラッキーチャンスが
どこにでも転がっていて
それは一見、1番いやなことだったりして。
 



けどそれは
"自分の常識を疑うチャンス"
 



自分の生き方をチェンジする
最大のきっかけで
それが本当の
自分の楽しみを見つける種
だったりする。
 



 
そう思えること自体が
もうすでに
ラッキーに切り替わってる
ってことだと
今は思います。




 
日々のバージョンアップ
自分をクリアリングするのは
やっぱり自分だから
見えている世界の違和感は
すぐに綺麗に
お掃除するのがいい。
 


 
思考のお掃除は
意識のお掃除になる
 
 



意識をお掃除していれば
いつでも楽しいことは
目の前で起こりつづける
 
 



昨日、可愛い女子とランチしたとき
『えりこさんはどんなことも楽しいことに変えることができる』と、聞いたんだ。
それって、とってもありがたいこと!
 



 
けどね、わたしは
自分1人ではできなくて
周りに恵まれてるんだ♡
運がいい♡
 



周りに大好きな人たちがいて
いつもスパッと
本当のことを伝えてくれるから。
 
 
だからわたしのいちばんのラッキーは
人に恵まれてる
ってこと♡
 
 
 
わたしが思うのは
嫌だと感じることがあったら
それは
自分の思い込みを疑うチャンスなんだ
 
 
もっと幸せになれる思考がある
もっと別にイイコトがある!
って氣がつけるトキ
 
 
だからそんなときは
周りの人のやさしさに
精一杯甘えられる
感謝のときだと
わたしは思います♡
  





 
みんなみんなにおくる!
幸せラッキーな
カメハメハ〜〜ベルキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ




じゃあねん♡
ありがとう!!









ERIKO*



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