人生のフィナーレをどう生きるか。

 

 

そんなこと、正直 あまり実感が湧かない。

 

 

でも ある。必ずある。

だれにでも、平等に そのときは来る。

 

 

 

わたしはたぶん、デリケート。

いや、かなり繊細で 敏感で 厄介だ。

だから 内緒にしてきたつもり。

 

 

 

いちばん自分の 

強いところでもあり 弱いところでもあり 

わたしがいちばん 好きなところでもあり

おもしろいところだ。

そう、嫌いなところではないことは、確か。

 

 

 

ただ、厄介だとは思う。

夫ナオさんはきっと

わたしのココが めんどうくさいだろうな。(笑)

 

 

 

でも仕方ない

これがわたし。

これがわたしの人生の叡智でもある。

 

 

 

 

人を見ただけで、今その人が

どんな精神状態か

どんな夢があるか

なにを欲していて

本当はどうしたいのか

言葉は間違ってしまうことがあっても

その人が

本質的に求めているソレを捉えてしまう。

 

 

 

それは 

感じようとしてキャッチするのではなく

読み取るチカラでもなく

スピリチュアルでもなく

ただ わたしに備わっている

天性の神業なのだろう

 

 

 

修業したでもない

極めたかったわけでもない

むしろ、敏感に情報がキャッチされるソレに

悩んできた方かもしれない

 

 

 

なぜなら

人が何を感じていて

何がブロックで

なにをしたいのか

わかってしまうのだから。

 

 

 

嫌だった

すごくすごく、イヤだったよ

 

 

 

 

でも33歳のあるときから

それが仕事になった

キッカケは、ひょんなことだった

 

 

 

目の前にいる人たちが

みんな嘘をついていると思っていたら

嘘じゃなくて、本当にみんな

わからなくて困っている人達ばかりだった

 

 

 

え、みんな、冗談でしょ

最初はみんなを疑った

33年間、みんなが嘘をついていると思い込んできたことが

ちがったのだ

 

 

 


と同時に その逆も然り。

本当だと信じていたことは

ガラガラと音を立てて 崩れ去り




ドリフ大爆笑のワンシーンのように

タライが上から降ってきて

頭に ドッカーーン!!って当たったような

そんな 衝撃波があった

(古いか、笑)





まさに 人生が変わった瞬間だった

なにを信じたらいいのか分からない

誰を信じていいのか分からない

自分が誰なのかも 何がしたいのかも

見えなくなってしまった





わたしが キャッチしすぎてしまうことが

このとき はじめて分かった。

自分を知った感覚というのが

いちばん近いのかもしれない

 

 

 

けれど。

 

 

 

本当のことを言うと、みんな嘘だと言ったり

本当のことを話すと、すごく嫌がられたりしまったりして

どんどん人は離れていった

 

 

 

悲しくて辛くてさみしくて

痛くて苦しくて切なくて

誰も信じられなくなって。。。

 

 

 

やっぱり、本当のことは、封印しよう。

そう思った。

 

 

 

でもね、わたしの話し方だったり

お相手との距離だったり関係性だったり

要因はたくさんある。

わたしは わたしの都合のいいように解釈してしまったこともある。

 

 

 

それが、3年くらい前かな。

そのときからわたしは

人にも自分にも

ある種、心を閉ざしてきた。

 

 

 

 

この3年、わたしは

本当のことを話せる人とだけ シェアしてきた。

ある程度までは話しても

それ以上は、絶対に踏み込まない。

でももうそれも、次の段階に来たなぁ。

 

 

 

自分の弱さが強さであること。

自分の痛みは、自分がいちばんできることでもあること。

 

 

 

そんなことを体感した3年間。

敏感なことが仇となり

敏感なことが礎となり

敏感なことが仕事でもあり

敏感なことが いちばん楽しいことでもある。

 

 

 

わたしの人生で、こんなにも苦しかったのは

はじめてだった。

 

 

 

 

でもこれがわたしの人生の叡智なのだ。

人の足の歩幅。クセ。

人の目の配り方。立ち姿。

声の質・量・タイミング。

言葉のチョイス。。

あげたらキリがないほど、捉えやすい体質なのだ。

 

 

 

たぶんこれは、感じやすいというのとは

またちょっと、ニュアンスが違うのだ。

 

 

 

勝手にとらえてしまうモノだから。

 

 

 

だから、説明しようにもできないのだけど

しゃべり出したら、めっっっっっしゃべる!

捉えたい!!と真剣に思ってる人には

ぜひともシェアしたい感覚でもあるのだ。

 

 

 

わたしは天性の素質で捉えてしまうけれど

これはきっと、仕事にしたら すごく人の為になること

だと思う。

 

 

 

画家さんは、絵がうまいように

リレー選手は、足が速いように

美空ひばりは、天才歌手であったように

(ときどき昭和が入るよね、笑)

わたしは、人の感性を広げられるのだ

 

 

 

可能性を広げることをしてきた

自分が感じていることを

本当のことを話そうと勇氣を出してきた

 

 

 

そのたびに、人が離れ一人ぼっちになって

批判され、危険人物とされ、噂されてきた

でももう、そんなの、過去の話だな。

 

 

 

今そんなことしてたら、時代におくれちゃうよ。

本当に本当のことをしないと

自分が自分を裏切っちゃうよ

本当のことって、本当だから、うそじゃない。

本当のことって、純粋なんだよ。

純粋って、すんごく傷つきやすいの。

だから怖いけど、でもね、次に行かないと。

 

 

 

GIVE&GIVE&GIVE!

すべては、出したものが自分のモノ

っていうか、自分がやってることそのものが

出すと同時に入ってるからね!

 

 

 

GIVEもTAKEもおなじこと

 

 

 

授かったものをどう授けていくか

自分を通過するモノゴトばかり。

この身すら、この世界の借りもの。

 

 

 

一昨日9月25日は、祖母の49日でした。

昨日は50日祭。

今日、わたしの中では個人的に解禁日!

 

 

 

ばあちゃんのおかげで、わたしは強くなれた。

ばあちゃんのおかげで、わたしは優しくなれた。

ばあちゃんのおかげで、わたしは人をもっと深く広く愛せるようになった。

 

 

 

ありがとう、ばあちゃん。

ばあちゃんの人生のフィナーレは、最高に美しかった。

わたしにとって、今までのどんなお別れよりも鮮明に

感謝があとからあとから湧いてきて

この泉は枯れることなく、わたしのすべてで

一生 ず~~っと 満たされ溢れ続けるのでしょう。

 

 

 

生きるトキ、人は本当に美しくなる。

生まれた瞬間から、人生のフィナーレに向けて

その一歩を一歩を進めている。

人生のフィナーレを思ったとき

人は、本当の自分の強さも美しさも受け入れるのだろう。

 

 

 

 

わたしは わたしがフィナーレを迎えるトキ

今よりも 敏感になっているかもしれない

でもきっとそれは

人の役に立つことができた証になっているのだろう

 

 

 

 

そう思いたい

 

 

 

 

 

 


 

 

 

わたしが今このブログを書いているのは

自分と人の美しさをもっと受け入れて

人と楽しみ合いたいから。

楽しい話をして、お互いに高めあい

喜び合い、勇氣をもって

前に進みたいから。

 

 

新しい地球の在り方が 始まってるから

人は今、本当に本当のことを

潜在的に求めているから。

 

 

 

今日、このあと書きたいことがいっぱいある。

 

 

 

話は ぜんっぜん まとまってないけど 笑

まずは今のところ長くなっちゃったから

ひとまず おしまい

今から、主婦業もやって

子どもたちとナオさんと一緒に

わたしがつくったおいしいご飯をいただこう♡♡

 

 

 

そのあとまた、ブログ書きに戻ってくる!

よし、そうしよう。

なんか、すっごくすっごく久しぶりに

今日は書きたいんだ。