祈り。
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今、手術をしなかったら 寿命は 今日です
まさか そんな日が 目の前に来るなんて
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今日は初七日。
ばあちゃんの前に座って
手を合わせ
ばあちゃんをおもう。
一緒に暮らしていた ばあちゃんは
わたしが 赤ちゃんのトキから 今まで
ずっと一緒に生きた人でした。
わたしが 赤ちゃんのトキも 高校生のトキも
わたしが 出産したトキも 仕事で飛び回っても
どんなときも 同じ屋根の下で ずっと
ずーーっと 見守っていてくれた人でした。
今も。
6月27日に90歳の誕生日を迎え
みんなでお祝いし
先日8月8日夜 、その生涯を遂げました。
今日ようやく 心が落ち着いてきたところです
今の自分のこと、ばあちゃんとのこと
忘れたくなくて
ブログを書くことにしました。
ばあちゃんは わたしたち家族5人が
全員揃っている日、当日朝
突然に急変し
夜 旅立っていきました
両親も わたしの兄弟も
ひ孫たちも みんな
さいごに ばあちゃんと会うことができて
ばあちゃんは さいご
微笑んだように わたしたちには見えて
さいごのさいごまで
生きようとするチカラを見せてくれました
旅立つ日の夕方
言うことを聞かないはずのカラダを
自分で動かして 排泄もしようと
ありったけの 力を振り絞り
わたしとナオさん(夫)で介助して
それが さいごのトイレになりました
その日の朝は いつも通り
元氣に『行ってきます!』と
デイサービスに出かけた
その10分後に デイサービスから連絡が入りました
デイサービスの2人は
過去、わたしと共に働いた 仲間たち
とてもお世話になりました
ばあちゃんが
「お腹が痛いと言っていて、汗びっしょり、低体温」と。
丈夫なことに氣を配り
人一倍の努力をして
この年齢まで 一生懸命に リハビリをつづけ
人の世話にはならないと
がんばってきたばあちゃんが
『いたい』と連呼するなんて。
氣がつくと わたしは 車のハンドルを握って
ばあちゃんのところへ 向かっていました。
そのまま かかりつけ医へ行き
『お腹が痛い』『汗びっしょり』『低体温』の
ばあちゃんの 心電図と点滴をお願いしました。
その後、結果が出て、救急搬送。
ばあちゃんが息を引き取ったのは
それから 10時間後でした
さいごまで生きようと
生き抜いた ばあちゃんが
搬送先の病院で
潔く『手術はしない』と 選択したこと
わたしは あの瞬間に
ばあちゃんの
命への畏敬を 確かに 感じました。
「今、手術をしなかったら 寿命は 今日です」
まさか そんな日が 目の前に来るなんて
孫である わたしが どちらかなんて 決められない
これまで 一生懸命に生き抜いてきた
本人が決めることだと わたしは思いました
わたしが赤ちゃんのトキから見てきた
ばあちゃんは
『生きる』ことに まっすぐでシンプル
わたしのぜんぶ、ぜーんぶを
信じ抜いている ばあちゃんでした
その ばあちゃんのさいごを
ばあちゃん本人が知らないまま
わたしが決めることは決して してはならない
そう思いました
手術をすれば 明日ももしかしたら
目を覚ますことができるかもしれない
50%の確率で。
そして 手術をしたら その先は
全身に管が通ることになり
どんなことも
人のお世話になる道が待っていること
手術をしなかったら
わたしたちには もう会えない
次に目を覚ます場所は
別の世界だということ
ばあちゃんに 真実を話そう。
ばあちゃんなら 自分のこと 知りたいはず。
どちらか 自分で選びたいはず。
隣にいた母に ばあちゃんに話そう
そう言いました
母も そうだね、と。
痛み止めの点滴が効き始めた ばあちゃんは
事実を話すわたしの話に
しっかりと耳を傾けて 冷静に聞いてくれました
間髪を入れず 次の瞬間
ハッキリと ばあちゃんは言いました
『手術はしない』
わたしの頬に 大粒の涙が溢れたのを
母は見て わたしの肩に触れました。
『えりちゃん、おばあちゃんに話してくれて、ありがとう』
それから ばあちゃんが息を引き取るまでは
あっという間に過ぎていき
今こうして わが家の
ばあちゃんのベットの上で
ブログを書くまでの7日間
どれほどの涙が 溢れたことでしょうか
当日も お通夜の日も お葬儀の日も
次の日も またその次の日も
どうしても どうしても
ありがとうの一つ一つが
ふとした瞬間に 溢れだしてしまい
いつものわたしではない
どうしようもない わたしを過ごしていました
ただ ただ ばあちゃんの幸せをおもって。
ばあちゃんには いつも感謝しかない。
その存在は いつでも わたしを励ましてくれて
なにも言わずに 見守ってくれて
時には 怒ってケンカして。
ひ孫たちのことも
わたしたち夫婦と一緒に
大切に 見守り 育ててくれた人。
耳の遠いのをいいことに
都合のいいことは聴こえたり聴こえなかったり
器用なもんでした
元氣でいることに人一倍の努力をして
わたしの子どもたちである ひ孫と
一緒に暮らす楽しみを 大事に大事に
ずっと リハビリを がんばってきました
一生懸命に話して 歩いて生きる
ばあちゃんの姿は
子どもたち3人も わたしもナオさんも
目に焼き付いています
今 わたしたち家族がこうして
強く優しくなれたのは
ぜんぶ ばあちゃんが土台をつくってくれたから。
ばあちゃんとの会話やコミュニケーションが
毎日あったから。
6年前に ばあちゃんが
熱中症で倒れたあの日から
今日までのことが
もうすでに 準備されていた
わたしたちの幸せのじかん。
あのとき
突然やってきた ばあちゃんとの暮らしは
ちょうど 6年で
突然に お仕舞いを迎えました
さいごの前日 ばあちゃんに
安心の笑顔を見せることができてよかった
ばあちゃんが ほっこりして 安心して
いけてよかった
ばあちゃんが 自分で決めて
納得して いけてよかった
ばあちゃんが 幸せな命を遂げることができて
本当に よかった
一生懸命に生きた ばあちゃんの孫でいられること
誇りにおもう。
わたしは ばあちゃんに なにができたのだろう
わたしは なにを ばあちゃんとできただろう
そんなことも 考えてしまったりするけれど
今は、ばあちゃんとのすべてを
これからの わたしたち家族の人生に
生かしつづけていくこと それこそが
ばあちゃんの 今の幸せなのだと
心において 自分にまっすぐに生きていこう
ばあちゃん、幸せなじかんを
ありがとう!!
ばあちゃん、いのちをありがとう。
次の世界も、幸せにね🌸
ばあちゃんが お空にいった日
お庭の蓮が 咲いた日だったよ
幸せな、いのち**
いつも ありがとう