長寿の遺伝子貰ってるのでしょうかね。?? | hara

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日々の出来事などあれこれ書いてます。


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              1月13日(土)晴れ、雪の積もった彦根城へ行きましょう!
           京都駅から米原行きに乗った。

           遥かに見える比良山系の雪の山波にみとれていたら、
           途中駅で列車は止まった。
           前の列車も数台?  停車しているそうで・・

           信号機に不具合が生じたと何度も放送される。
 
           これはいけません。
           引き返して、京都府立植物園に入園した。




                  平成30年 始めての植物園であった。
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                 「ロウヤ柿」が鳥にも食べられず残ってました。
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            お嬢さん達が楽しそう。
         「何の花ですか?」
                    「アネモネの穂」 と書いてありますよ、
         
         4人は長時間、あの場所で、若いって良いですね。
         

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            天気良し風も無しで、
         川沿いを出町柳駅まで、ぶらぶら歩きました。

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                     川向こう岸をマラソンする人達

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              余談な話ですが・・

          
           私の祖母は90才の日まで元気に生きました。
           母が明治43年生まれで、
           その母は多分、明治20年代の生まれでしょう。

           私が6才頃(昭和16年?)ある日、
           隣村からお使いの人がやって来て、
           (電話も無い 車も無い時代で)
           婆あぁ~ちゃんが亡くなった事を知った。

           こども心に、年を取ったら人は死ぬのだ、
           単純にそう思った気がする。

           婆あぁ~ちゃんは、前日の夕方、薪でお風呂を沸かし、
                        (井戸から水を汲み入れて) 
           次の朝、タライで洗濯をして、干して、
           「昼過ぎに静かに逝かれたよ。」

           大人たちの会話だったと記憶している。

           もしかしてお昼寝でもしていたのでしょうか?


              当時としては、長生きな人ですね。

           この婆ぁ~ちゃんの一つのエピソード、
           ほんとか嘘か、本人に聞いたわけでは無いですが、

           お産の日、周りに誰もいて無くて、
           自分でお湯を沸かし、一人で産んだそうです。
           元気で強い人だったと、それだけはおぼろげながら・・



           
              私最近になり、忘れていた遠い遠い日の、
           婆あぁちゃんを思い出しております。
             
              
           
                      


           本日も訪問頂きまして有難う御座います。


              






                                  
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