昨日のライブをもって、松竹芸能タレントスクールを卒業した。
振り返れば短い1年だったが、濃密な時間だった。
そもそも、お笑いとは、お笑い芸人というものがなんであるかもよくわからなかった。ただ、非常に面白そうな世界であるという直感で入学した。
週末に、トーク、演技、ネタ見せの授業が、ネタ見せは毎週、他は隔週であった。週末、妻とあちらこちらに出かけることがほとんどなくなった。
トークは、もともと大学の講義がトークなので、壁は低かった、楽しめる面もあった。演技は、最初は苦手で仕方がなかった。学生時代、寮の祭りで、演劇をやった時のトラウマが今でも引きずっている感じだった。
しかし、後半になると、演技の重要性がわかった。それから気持ちを切り替えて演技の授業に集中した。演技の最終授業の4人のコントは、賞こそ逃したが、演技の先生が「ここ数年の最終授業コントで一番良かった」(聞き間違いではない!!)というほどに良かった。だったら、なぜ賞を逃したのか、多分、あまりに下ネタすぎたのだろうと思う。
やっぱり一番大変だったのがネタ見せだった。5月くらいから始まった。ピンのフリップネタをやっていた。何やってもしっくりこなかった。経済学の話だったり、数学の話だったり、ちょっと中身が硬いのが原因かと思ったが、そうじゃなかった。自分に合わなかったのだ。
その後、コンビを組んでキングオブコント予選にでたり、M-1予選に出たりしたが、それもうまくいかなかった。9月の終わりくらいから再びピンになった。
10月くらいから、ネタ見せで、何をやっていいかわからなくなっていた。それでも、ネタ見せで何かをやり続けていた。このころが、一番、スクール生活に息切れ現象が現れた時期だった。
また、ネタの方向を変えようと思うようになった時期でもあった。笑の対象を、フリップなどの他のものではなく、自分自身を笑ってもらうようなものにしたいと思うようになった。この時期から、フリップはやらなくなった。
一人コントや漫談ネタを考えるようになった。自分自身が、全力でネタをやって、自分が笑われるようなネタだ。
方向は決まったものの、また、色々試みたものの、大きく笑いを取るほどのネタはできなかった。その頃、たまたまトークの授業のネタ見せをした後、先生から「踊れ」と言われた。わかりましたといったものの自信はなかった。妻からも、あなたは盆踊りすらまともに踊れないと宣告されていた。
しかし言われた限りはと、ちょっとした踊りを練習した。でも、ネタに使うまでにはいかないと、結局やらなかった。その後のトークの授業の時に、先生から「やったか?」と言われ「いえ、やってません」と答えた。先生から「だからダメなんだ!!わっしーだけではなく、他の生徒も、結局は言われたことをやってない。突き抜けていないんだ」という強烈なダメだしを言われた。
その言葉を聞いて、そうか、と思った。自分は、ここまではできるというちっさい枠を作って、その範囲内でやろうとしていた、そこを突き抜けなきゃものにならないということだと悟った。それから踊りのネタを入れて、R-1に臨んだ。R-1予選では馬鹿受けだと思ったが、落ちた。そのことはいい。何しろ、ネタは「突き抜けて、振り切ったものにしなければならないんだ」ということが、本気で了解した。
そういう意味で、自分のやりたいピンネタは、自分の「狂気」を舞台で見せることだと了解した。
それからは、C-3POのネタも、自分的にはふり切り感を出せるネタとして作れた。踊りのネタも改良できた。自分に合わせたネタというものがどんなものかがわかってきた。
あとは、迷いなく、卒業ライブまで持ってこれた。
続きはまた別に書こう。
振り返れば短い1年だったが、濃密な時間だった。
そもそも、お笑いとは、お笑い芸人というものがなんであるかもよくわからなかった。ただ、非常に面白そうな世界であるという直感で入学した。
週末に、トーク、演技、ネタ見せの授業が、ネタ見せは毎週、他は隔週であった。週末、妻とあちらこちらに出かけることがほとんどなくなった。
トークは、もともと大学の講義がトークなので、壁は低かった、楽しめる面もあった。演技は、最初は苦手で仕方がなかった。学生時代、寮の祭りで、演劇をやった時のトラウマが今でも引きずっている感じだった。
しかし、後半になると、演技の重要性がわかった。それから気持ちを切り替えて演技の授業に集中した。演技の最終授業の4人のコントは、賞こそ逃したが、演技の先生が「ここ数年の最終授業コントで一番良かった」(聞き間違いではない!!)というほどに良かった。だったら、なぜ賞を逃したのか、多分、あまりに下ネタすぎたのだろうと思う。
やっぱり一番大変だったのがネタ見せだった。5月くらいから始まった。ピンのフリップネタをやっていた。何やってもしっくりこなかった。経済学の話だったり、数学の話だったり、ちょっと中身が硬いのが原因かと思ったが、そうじゃなかった。自分に合わなかったのだ。
その後、コンビを組んでキングオブコント予選にでたり、M-1予選に出たりしたが、それもうまくいかなかった。9月の終わりくらいから再びピンになった。
10月くらいから、ネタ見せで、何をやっていいかわからなくなっていた。それでも、ネタ見せで何かをやり続けていた。このころが、一番、スクール生活に息切れ現象が現れた時期だった。
また、ネタの方向を変えようと思うようになった時期でもあった。笑の対象を、フリップなどの他のものではなく、自分自身を笑ってもらうようなものにしたいと思うようになった。この時期から、フリップはやらなくなった。
一人コントや漫談ネタを考えるようになった。自分自身が、全力でネタをやって、自分が笑われるようなネタだ。
方向は決まったものの、また、色々試みたものの、大きく笑いを取るほどのネタはできなかった。その頃、たまたまトークの授業のネタ見せをした後、先生から「踊れ」と言われた。わかりましたといったものの自信はなかった。妻からも、あなたは盆踊りすらまともに踊れないと宣告されていた。
しかし言われた限りはと、ちょっとした踊りを練習した。でも、ネタに使うまでにはいかないと、結局やらなかった。その後のトークの授業の時に、先生から「やったか?」と言われ「いえ、やってません」と答えた。先生から「だからダメなんだ!!わっしーだけではなく、他の生徒も、結局は言われたことをやってない。突き抜けていないんだ」という強烈なダメだしを言われた。
その言葉を聞いて、そうか、と思った。自分は、ここまではできるというちっさい枠を作って、その範囲内でやろうとしていた、そこを突き抜けなきゃものにならないということだと悟った。それから踊りのネタを入れて、R-1に臨んだ。R-1予選では馬鹿受けだと思ったが、落ちた。そのことはいい。何しろ、ネタは「突き抜けて、振り切ったものにしなければならないんだ」ということが、本気で了解した。
そういう意味で、自分のやりたいピンネタは、自分の「狂気」を舞台で見せることだと了解した。
それからは、C-3POのネタも、自分的にはふり切り感を出せるネタとして作れた。踊りのネタも改良できた。自分に合わせたネタというものがどんなものかがわかってきた。
あとは、迷いなく、卒業ライブまで持ってこれた。
続きはまた別に書こう。