こんにちは。
進行役のたけひろ はなと申します。
今回は、お弟子の17歳の日本舞踊お名取のアヤ牡丹さんが、高校生の視点から伝統文化の方にインタビューされたことをまとめさせて頂きました。
今回のゲストは、歌舞伎義太夫三味線奏者として、大活躍の豊澤長一郎さんですが、滋賀県長浜市に生まれ育ちました。
子ども歌舞伎で有名な土地でもあります。
剣舞を伝承されるお家に生まれ、幼少よりお父様から剣舞を習われたそうです。
全国少年剣舞大会にて、優勝🏆されるほどの腕前でいらっしゃいました。
中学へ入学のときに、お父様の勧めで歌舞伎の義太夫三味線のお稽古を始められたそうです。
高校を卒業し、東京の国立劇場研修生として上京され、武蔵野市にあります滋賀県の湖国寮から国立劇場研修所へ通われました。
研修所のお稽古がはじまり、半年後に選定が行われ、15名でスタートしたメンバーから、
5名が選ばれたそうです。
これはとても多い方で、0人の場合もあるそうです。
技術の素養も去ることながら、
まず第一に、正座ができること!
が必須とされるそうです。
今でも、長丁場の舞台になりますと、足がシビレを通り越して、痛みがピンパン感じることあるそうです。🤕
また研修期間で1番大変だったことは、過去に教わったくせをなおさなければならなかったことだそうです。おそらくある程度の段階まで弾けたゆえに、真っさらからやり直すことのご苦労がおありだったのと思います。
また、このような芸の世界でとても大切なこととして、『素直であること!』と仰っていましたのが、心に響きました。
そうして2年間の修行を経て、松竹竹本座と専属契約を結び、義太夫三味線奏者としての人生がスタート致しました。
お三味線は、脇のツレと主のタテの役割がありますが、ツレから始まります。
タテを弾くようになるには、20年以上の経験が必要ですので、途中でやめて行かれる方も多い世界です。
興行の演目が決まりますと、松竹さんの方から役者さんに奏者の打診があるそうです。
これは役者さんとの相性が、とても重要と伺えます。
義太夫ものは特に、阿吽の呼吸 でお芝居がすすみますので、お稽古もかなり大変のようです。
月の最終日の舞台が終わりますと、すぐ翌月のお稽古が始まります。
半年間連続して出演の場合は、休日は殆どありません。
また逆に舞台がない月は、ひと月近くお休みになる不規則な生活サイクルです。
お休みの月は収入も減りますので、やはり大変でもお仕事があった方が良い、という心境かと思います。
もっともっと義太夫を若い世代に知ってもらいたい、発信していきたいとのお気持ちで、オリジナル
CDを発売されています。
剣舞も素晴らしい身体のキレでいらっしゃり、才能豊かな40代前半、これからのご活躍がとても楽しみです。
歌舞伎座の裏のお写真も撮ってくださいましたので、ご紹介させて頂きます。
子ども歌舞伎寺子屋の風景です。
Facebookに豊澤長一郎後援会がございますので、
ぜひお気軽にご参加頂けましたら幸いでごさいます。^_^