先日、妻から聞かされた電車でのことについてなのですが、あれにはまだ話の続きがあります。


月曜の朝の通勤電車で、痴漢被害に遭っている女子高生を妻が救出したことは前記ブログに書いた通りです。

しかし水曜の朝、妻が電車に乗ると、また同じ男が同じ女子高生に接近していたというのです。

怒りの導火線に火がついた妻は行動に出ると早いです。
その女子高生を守る為に自分が出来ることをすべてやろうと決めたようです。
帰宅してから、私にも協力を求めます。
「いざという時はあなたは仕事を休んで一緒に電車に乗って痴漢男と対峙してくれ」と言ってきたので私は快諾しました。
「痴漢野郎を退治したら、逆に俺が逮捕されたりしてね」などと軽い冗談を言ったら、真顔で「暴力ダメ、ゼッタイ!」と怒られました。

そして今夜、帰宅すると、妻が女の子のお母さんと電話で話していて、鉄道警察に相談したり、色々と話が進んでいて、妻の行動力にブラボーと快哉をあげたい気持ちになってはいませんが、なりそうにはなりました。


痴漢やセクハラというのは弱者をターゲットにする卑劣な巨悪であります。
声をあげられない少女や逆らえない立場の者を狙って性暴力をふるうのは鬼畜の所業です。
しかし、世間はそのような鬼畜を許容し、あまつさえ同情するのですから絶望します。

たとえば、ハリウッドのセクハラ問題で告発されたワインスタインは駆け出しの女優を狙いました。
既に個を確立している大女優には決して同じことはしません。
そうです。
自分より立場の弱い者を狙うのが痴漢やセクハラなのです。
(痴漢とセクハラを別物として分けたがるトンチキ野郎がいますが、共に性的な暴力なのですから同じものです)

どこぞのアホが、痴漢やセクハラなんて撃退するぐらい強くなれば良いなどと言い、「こそこそ陰に隠れて匿名で告発したって信用出来ねぇぜ、どんなに音声データがあってもいくらでも加工出来るしな」などと被害者を中傷する発言を繰り返しているようですが、誰も弱いままの自分でいたいと思っている人間はいません。
皆それぞれ強くなろうと努力して日々生きています。
しかし、初めから最強の人間などいません。
下積みを重ね、徐々に力を蓄えて、一人前の強者へと成長してゆくのです。
何度も繰り返しますが、痴漢やセクハラをする人間は決して強者を狙いません。
下積みや駆け出しを狙います。
大人しい感じであったり逆らわなそうな子を狙います。
そんなことは誰でも知っていると思っていたのですが、テレビの司会者や関西系笑芸人や自称ギャクマンガ家などが、被害者をハニートラップ呼ばわりしたりして、顔と名前を晒す覚悟もない奴は泣き寝入りしてしまえと言わんばかりの暴言を吐き散らかしています。
彼らは一様に加害者に同情を寄せ、被害者にのみ覚悟を迫るのです。
一体それは何故なのでしょうか。
私は思わず邪推してしまいます。
彼ら自身が過去に加害者と同様の行為を繰り返していたからこそ、ヒステリックになって被害者叩きに精を出しているのではないかと。

想像力が豊かな私は思わず妄想してしまいます。
ある一人の馬づらの作家が女性の担当編集者に声をかけているシーンを。
「ワシはねぇ、君とねぇ、高級レストランでディナーを楽しみたいと思っているんよねぇ。無理強いするつもりはないんやけどねぇ、どうやろか?」
この誘いを立場上断るわけにはいかない編集者は心を殺して上辺だけの笑顔で「わあ、うれしー」と棒読みで言い、約束の時間にクソにも衣装でまるで似合わないブランド品のジャケットをまとった馬づらの不気味な作家が腰に手を回してくるのに戦慄しながらも作り笑顔をして、ワインの味なんかまるで分からないのであろう馬そのものの作家が口をぬちゃぬちゃさせながらワイングラスを傾けている姿に吐き気を催しながらもグッとこらえて食事を終えると、駄馬が「どうや、美味しいとやろ? 本来なら君クラスじゃとても食べに来られる店やないんやけんね」などと愚劣にいななき、股間の隆起が抑えられないといった様子で卑猥な言動を繰り返し、「高級ホテルのラウンジで飲もうよ」などと誘ってくるのです。
編集者は内心では、こんな馬と牛と豚とゴキブリが合併したような男と高級イタリアンを食べるより、大好きな彼氏とマクドナルドを食べる方がよっぽど美味しいと思っているのですが、まだ力がない駆け出し編集者であるので、売れっ子作家先生に逆らえよう筈もなく、ホテルのラウンジでカクテルを一杯飲むと酩酊し、前後不覚となり、そのあとのことは記憶にありませんみたいな感じのことになるのでした。

これはあくまで想像力豊かな私の妄想であり、実在の人物とは関係ございません。
しかしながら、当たらずと雖も遠からずでありましょう。