「赤とんぼ」(矢代秋雄編)  フルート ジャン・ピエール・ランパル 

               ハープ  リリー・ラスキーヌ

 

童謡・唱歌と両親のこと

父は仕事を定年退職したあと、ふとしたことで大怪我をして家で寝たきりになり、さらに認知症も発症してしまいました。私の事もわからなくなっていたようで、コミュニケーションをとる事が難しくなっていました。

高校を卒業以来、家を離れて35年が経っていました。親孝行といえる事もしないまま、何も伝えられないままになってしまう前に何か出来ないかと考えたときに、ふと思いついたのがフルートの演奏でした。

父の枕元で10曲ぐらい思いつくままに吹きました。それは、私が幼い頃に父がハーモニカで吹いてくれた「童謡・唱歌」でした。終わってから「曲の題名わかる?」と問いかけると、父は「曲はわからんけど、いい音楽だねえ」と言ってくれました。

顔を見ると目閉じたままでしたが、演奏中から泣いていたらしく、閉じたまぶたに涙があふれて流れていました。父の涙を見るのは初めてだったのでどうしていいかわからなかったのですが、心に何かを感じてくれているのが分かったのでこれで良かったのだと思いました。
 

これが父との最後の会話になりました。


父が亡くなって数年、母は張り合いを失ったかのように目に見えて元気がなくなっていきました。趣味もたくさんあったのに一切手をつけなくなり口数も減ってしまいました。私がたまに実家に帰省すると長い時間庭の一点をずっと眺めていて、話しかけても私の話題には応じずに「こうしていると気持ちが落ち着くんだ」と言ったきり動くこともありませんでした。

ここで私は気づくべきだったのですがこれが認知症の始まりだったようで、次に帰省したときには内臓疾患も併発して入院していました。私のことは分かるのですが名前を思い出せないらしく「おう、あんた来たのかい」というのがやっとでした。

病院に見舞いにいくたびに認知度が衰えていくらしく、だんだん目をつむったまま寝たきりになってしまいました。初めは声をかけたら目を開けて「あんたか」と言ってくれていましたが、次第に声をかけても目を開けなくなってしまいました。

父のときと同じように楽器を吹いて聴かせたかったのですが病院に入っていたので遠慮しました。その代わりにと思いついたのが演奏の録音をヘッドホンで聴かせることでした。
 

意識がなくなっても耳だけは聴こえているという話はよく聞きます。

私は仲間と音楽ボランティアをしていて、本番の演奏をいつも録音していたのでそれを病院に持っていき、ヘッドホンで母に聴いてもらおうと思ったのでした。

特別養護老人ホームで童謡・唱歌を演奏して皆さんにも一緒に歌ってもらっている録音を聴かせたら、母は目をつむったままでしたが、一緒に歌っているかのように「ウー、ウー」と声を出してくれました。ずっと世話をしてくれている兄が「あっ、反応した」と驚いていました。2度目に病院に行ったときはもう声を出すことはありませんでしたが、閉じたまぶたに涙をためていました。歌に聴き入っていろんな想いをめぐらせてくれているようでした。

私の母も童謡・唱歌が好きで家事をしながらよく歌ってくれていた記憶があります。私が童謡・唱歌を好きになったのは父のハーモニカと母の影響・・・というか幼い頃からすり込まれていたのだと思います。その影響からか、テレビやラジオから童謡・唱歌が流れてくるのが大好きで、それがたまにフルートの演奏で流れてきたときには格別な感動を覚えたのでした。

私が素人ながらフルートを吹けるようになって人に聴いてもらいたいと思うようになった動機がここにあったのだと思います。そして、実家から遠く離れて暮らして両親に何もしてあげられなかった自分ですが、二人の最期に自分のフルートで童謡・唱歌を聴いてもらい何かを感じてもらったのが、わずかながらもよかったと思っています。

 

十分な親孝行が出来なかった悔いは時間が経つにつれどんどん募ってくるのですが、その分を特別養護老人ホームの慰問演奏で入所者の皆さんに喜んでもらうことで償いにしたいと思っています。

 

高校時代の吹奏楽の仲間とボランティア演奏したときの写真です