趣味のフルート、思うことあれこれ

(趣味でフルートを吹いています。吹き方についていろいろ試行錯誤してきたこと、その時々の思いなどを折りに触れて書き加えてきたものです。もし何かお気付きの点、アドバイスなどありましたらお願いします<2024/05/11 最終更新>)
 

 

第4部 音の豊かさ

 

吹奏楽団の思い出
私がかつて吹奏楽団に所属していたとき、一番つらかったのは指揮者から「フルートパート聞こえないー!」という叫び声が何度も飛んできたことです。そして「もっと息をいれて!」と言われて「まずいんだけどなー」と思いつつも他に良い方法が思いつかず、無理矢理強く吹いてしまい、やがては唇を硬くしてアンブシュアを崩壊させてしまう、などということは何度もありました。無理矢理作った爆音!?は合奏に貢献しているとは思えないし、唇は硬くなって楽器の音はスカスカになってしまうしで割り切れない思いでした。
 

硬いアンブシュアの問題点
息の出口(アパチュア)周辺が硬かったり狭すぎたりだと息のビームは物理学で言う“回折の原理”で散ってしまい十分な効果を生み出せません。私はこのまずいやり方に気付かないまま硬いアンブシュアを続けてきたのでした。
 

「強大な力」と「豊かな音」
この第4部のモイーズ自身の解説の中に「真の強大な力はフルートの性格には本当はない」という一節があります。そして「それは両唇にとって有害なので私は常に避けてきた」「豊かな音で演奏することをとくに考えること」と書いています。この観点で言えば、私は「強大な力」で吹くのがまずいと分かっていながらも、そこから抜け出す方法が見つけられなかったわけです。楽器を十分に鳴らすことが出来れば美しくてなおかつ遠くまで届く音が出せるでしょうしそれが「豊かな音」になるのではないかと思うようになりました。

手がかり
では「豊かな音」を出すにはどうしたらよいのか。やはり手がかりはモイーズが本書で繰り返し強調している「唇の柔軟さ」「唇の自由」「しなやかさ」ということだと思います。

筋肉を完全にゆるめる
特にこの第4部では連続的なクレッシェンドの練習の注意事項として挙げられている「筋肉を完全にゆるめるのを忘れずに」「気柱をなめらかに導くために、両唇の圧力が維持される必要があるとしても、それはごくわずか」という留意点が書かれています。

「なめらかな気柱」
クレッシェンドするにしたがって息の圧力を増していくのだけれど、両唇の閉じる圧力は最低限にしておいて、なおかつ唇全体の筋肉は緩めなければならないということ、そしてこれによって「気柱」はなめらかに出て楽器を十分に鳴らすのだということです。

『モイーズとの対話』高橋利夫著
モイーズに教えを受けた高橋利夫氏の著書『モイーズとの対話』にはモイーズ奏法の詳細が書かれています。その中でアンブシュアについて繰り返し語られていて「上・下唇裏粘膜」「外転張力」という言葉が繰り返し出てきます。おそらくこれが「なめらかな気柱」と深くかかわってくるキーワードだと思います。

「唇の柔軟さ」による「粘膜」のトンネル
これとは逆に唇の筋肉を緩めて「上・下唇裏粘膜」のトンネルを通すと柔らかく外に開いて(「外転」)「気柱」がまとまりやすくなり、歌口のエッジに有効に当たってエアリードが振動し楽器が鳴り出すのだと思われます。これがモイーズの言う「なめらかな気柱」ではないかと思っています。その結果、楽器が本来持っている響きが引き出せているのでしょうし、おそらく倍音も豊かに出て響きや輝きが生まれ、遠鳴りもしているのだろうと思います。

 

「フルートは吹くな」!?

上記のことをフルートありた氏は別な観点で説明していらっしゃいます。氏によるとフルートは吹くのではなく、息を吐くように出すのが良いとのいうことです。つまり、1点に集中して「吹く」ように息を出すと唇が締まってきつい音が出やすい、むしろ「吐く」ようにやわやかく息を出すとなめらかな息が出て良い音が出やすいのだとYouTubeの動画の中で語っています。

 

「エアタンクメソッドの奏法」と重なる?

このありた氏の話はモイーズの「エアタンクメソッドの奏法」と重なるところがあるような気がします。「エアタンク・・・」とは上の歯と上唇の間に空気だまりを作って、息の圧力を溜める方法です。いわゆる腹式呼吸の息の支えを出口で調整する役割を持っています。この空気溜りは息の圧力に余裕が出来るので息の支えを強力にしたり柔らかくしたり口内圧力の調節を自由にすることができます。

 

たとえて言えば、虫眼鏡で太陽の光を一点に集めると強力な光と熱を生み出せますが、焼け焦げてしまう欠点があります。むしろ焦点を集め過ぎないように焦点距離を調節してほどよい暖かさを作るということです。

 

これをフルートに当てはめればポイントを絞りすぎないでほどよい息のスピードと共鳴を作って、モイーズのいう「豊かな音」を目指すということのようです。息のスピードの調節が自由にできるのでオクターブとか離れた音程への跳躍もとてもスムーズになります。なにより管全体が振動・共鳴して音が大きく柔らかいのに倍音がキラキラしているのが分かって部屋の壁に当たって返ってくる音がはっきりしていて、おそらく遠鳴りしているのだろうと思われます。

 

「ソノリテ」が目指すもの
音量という点でフルートは不利であっても豊かな響き、透る音を作ることが大切ということのようです。「ソノリテ」とは“豊かな音による美しい響き”のことを指すような気がしています。ただし、モイーズは「美しい音を得る確実な方法が書いてあるのではない」と断っています。つまり「規則だった練習によって学習者各自の能力を発展させ、修正し、つくり変える方法を与える」というのが本来の目的なのだそうです。

古い言い方でたとえると、奥義とか秘伝そのものではなく、そこへ自力でたどり着くための修行の方法が書いてあるということなのでしょう。練習していくうちに自分が出来ること、出来ないことを知って、それをどのように修正・発展させたら良いのか、その方法を自分で考えることができるようになると言っているように思えます。現代風に言い換えれば“毎日のルーティーンに組み込むことで自分の音を磨いていける重要アイテムの一つ”ということでしょうか。

唇に覚え込ませる?!
かのジェイムズ・ゴールウェイは「ソノリテ」についてこのように言っています。
「どんな音がきても自動的に、そして意識的な努力なしに、唇がそれに合った形になるように、特にその感じを覚えこませることが皆さんの目的でなければなりません」(『フルートを語る』吉田雅夫訳)。唇の筋肉は毎日練習していても次の日に同じような使い方が出来るという保証がありません。

 

「前日は良い音が出たのに今日は最低! どうやって良い音を出したのか思い出せない、昨日と同じように吹いているのに!!」というつらい思いを何度も繰り返してきた自分にとって、「唇に覚え込ませる」まで練習しなければならないという言葉は“地獄に光を見いだした”ような思いでした。私はこれまでアンブシュアはこう、アパチュアはこう、という理屈で考えていたのですが、それは誤りであったこと、芸術やスポーツと同じように毎日の訓練の中で磨き続けなければならないということにようやく気付けたと思っています。

4年間毎日?!
ゴールウェイは4年の間、毎日「ソノリテ」をさらったとのことで、良い音が無意識に出せるように体に覚え込ませることができたということです。さすがと思う一方で、あのゴールウェイでさえ4年間毎日練習して到達した境地を素人の私がどれくらいやったら出来るようになるのか?!気が遠くなりましたが、それでも少しずつであってもやればやるほど、やった分だけ手応えが感じられるようになっていて、練習が楽しくなってきています。

迷路から抜け出せたような気分
かつての自分は気持ちが先走って、つい力を入れて吹いたり息の量を入れすぎたりで音を悪くしてしまうという迷路の中から抜け出せませんでした。永遠に改善できないのかと半ばあきらめていたのですが、「ソノリテ」を少しずつさらうにしたがって楽曲はもちろん、練習曲や「タファネル・ゴーベール」なども今までにない音で吹けるようになっているのを実感できるようになりました。

 

かつてはガッカリな音でも練習し続けなければいけないという、いわば苦行!のように思っていた練習が、今では練習の成果がそれなりに感じられますし、自分なりに吹き方を工夫して音を作っていく楽しさも感じながら練習できるようになった気がしています。

 

 

 

うちの猫が生後4ヶ月位のときの写真です。抱っこしていたらいつの間にか眠っていました。