ドラマに歌に引っ張りだこの上白石萌音さん。その演技を見ていてまず思うのはその役柄に「なりきる」役者さんとしての精神力・役者魂ということです。特に目の表情などセリフが見えてきそうなくらい真に迫っていると思います。彼女の歌の上手さも声の綺麗さだけでなく、歌詞の中の「私」に「なりきる」ような迫真性を感じます。


ご近所さんからいただいた百合の花です。初めはすべてつぼみだったのが、あっという間に20センチを超える大輪になりました。


 

話は変わりますが「日本昔ばなし」や「家政婦は見た」など、かつて驚異的な視聴率を上げていた市原悦子さんが亡くなって3年ほど過ぎました。生前の市原さんへのインタビュー番組を見たことがありました。その中で特に印象的だったのは「昔ばなし」の中で30のキャラクターを使い分ける秘密を尋ねられてご本人が語っていたところです。

 

インタビューの中でテーブルに用意された紅茶のカップをふと見て「この紅茶、飲まれないで置かれたままでしょう?」と言い「いろんなものには命がある」だから「この紅茶の声を聴くんです」というようなことを語ってから「あとで飲んでね・・・」とその場で「紅茶の声」を再現してみせ、いかにも照れたように顔を手で隠していたのが忘れられません。まさに「なりきる」ことの意味や極意を示してみせられたのだと思います。

庭の皇帝ダリヤです。毎年霜が降りる寸前まで寒さに耐えて咲いてくれています。今年もたくさん楽しませてくれました。


 

先日YouTubeを見ていたらあるボイストレーナーさんが「99パーセントの人が気付いていない!? 感動させる歌い方」というタイトルでお話をしておられました。副題は「歌の上手い人は○○を歌う」です。

この「○○」はクイズ形式になっていて、その答えが動画の終わり近くで明かされます。その答えは「意味」なんだそうです。確かに歌の歌詞にはそこに込められた意味があるのは分かるし、それをいかに表現できるかにかかっているというのも理解できます。

 

歌詞の中身を理解して歌う・・・言われてみれば当たり前だなと思うのですが、その通りに歌えるかと言えばこれはやはり難しいとしか言いようがありません。普通は音符を追いかけながら声をコントロールするだけで精一杯というところでしょう。歌声が歌詞の意味に「なりきる」ことは上手く歌うことのカギなのだということも分かりますが、それはとても難しいことでもあります。

これをフルートを吹くときに置き換えて考えてみると、楽曲に歌詞がついているものはほとんどありませんから「こう吹けば良いのかな」というところまでたどり着くのは困難を極めますが、目指すのは楽曲の「意味や気持ちが見える」とか「風景や色が見える、空気や匂いを感じる」というようなことなのかなと改めて思いました。

 

譜読みはもちろん、作曲者の感性や考え方、時代背景など理解して楽曲の中身に少しでも「なりきる」ことができればと願う今日この頃です。

 

我が家の猫です。寒くなってきたので窓際で日なたぼっこです。