世界的な評価

 

イントロのフルートがとても印象的で、これが聞こえるだけであっという間に「青春の輝き」の世界に引き込まれます。カーペンターズの「青春の輝き」は繰り返し何度でも聴いていたいと思うくらい、尽きることのない魅力を持った名曲・名演だと思います。

1976年、ボーカルのカレンが26歳の時にリリースされ、全米のアダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位を獲得しました。

ビートルズのポールマッカートニーやジョンレノンを始めとする世界中のアーティストたちもその声の美しさを絶賛したそうです。

透明感あふれる美しくやさしい声の音色や響き、さらにテンポの自然な揺らぎ、細やかなニュアンスや表情を変化させつつ語るように歌い上げていくなど、歌唱力の素晴らしさは数え上げたらきりがないくらいで、今でも世界中の多くの人に愛され、癒しを与え続けています。

 

タイトルの不思議・・原題と邦題

タイトルの「青春の輝き」という邦題からは輝かしかった青春を回想している歌なのかな?と思ってしまいますが、原題や歌詞の邦訳を見るとどうも違うようにも思えてきます。

 

原題は「I need be in love」で「私は恋をしなきゃいけない」とか「私には愛が必要だ」と訳されています。そして歌詞の解釈についいては「完璧さ」を求めるあまり現実の「恋」を逃してしまった自分を後悔している歌なのだと一般的に言われているようです。

原題が後悔というマイナーなイメージで付けられているのに対して、邦題は青春をメジャーのイメージで付けられているのがどうしても気になってきます。

 

 

メイン・テーマの謎

 

この歌のメイン・テーマが示されていると思われるのは次のフレーズかと思います。サビの部分で3回繰り返されています。

わかるわ 私には愛が必要だってことを
わかってるわ 私が時間を取り過ぎたってことを
わかるわよ 未完成な世界で完璧を求めたのね
そして「いつか見つけるわ」って思う私バカみたいね

このサビでは「愛が必要だ」と言いながら、もう一方で「完璧」を求めることがあきらめきれない、そして「いつか見つけるわ」と思っている自分がいるという、一見矛盾を抱えた状況が描かれています。つまり「私」は何かに「完璧」を求めていたのだけれど、それによって「愛」を置き去りにしていたと言っているようです。

また別なフレーズで「ひとつの夢に縋って たぶん私は大丈夫よ」とも言っています。

この「完璧」を求めるとか「ひとつの夢」というのはどんな意味なのか、謎かけのように思えてきます。

 

 

カレンの「最も好きな曲」の真意

 

この「青春の輝き」という邦題が付けられたいきさつは今のところ見つからないのですが、言葉の意味だけをとらえれば“青春時代の素晴らしさ”的な意味かと思います。

ところが原題「I need be in love」は“恋をしていなかった、愛が足りなかった、だからこれからは恋をしなきゃいけない、愛が必要だ”という意味で書かれています。これでは邦題の意味と原題の意味とはかけ離れ過ぎているというか、ほとんど真逆の意味になっています。

そこで、カレンがこの曲が自分のレパートリーの中で「最も好きな曲」だと言っていた(兄のリチャード・カーペンターによる)ことを手掛かりにして、仮に歌詞の中の「私」≒現実のカレンという前提で考えてみます。

そもそも“恋をしていない”“愛が足りない”という間のカレンは何をしていたのでしょうか。「時間をかけ過ぎた」というのは何をしていたからなのでしょうか。

カレンは「青春の輝き」(26歳)以降もさまざまなヒット曲を歌い続けた後、30歳のとき不動産業を営むトーマス・ジェイムズ・バリス氏と恋に落ちすぐさま結婚しました。

このこと自体祝うべきことなのですが、どこか唐突な感じがしないわけではありません。それまでにカレンの恋の噂はなく、むしろカレン自身が抱えていた摂食障害(25歳頃から)との闘いや多忙な演奏活動の日々を送っていたことと思われます。

このような状況をふまえると“恋をしなきゃいけない”とか“愛が必要”というのはいわば裏返しの表現だということになってきます。つまり“そうしたいのにどうしても出来ない状況”を抱えていたということを意味しているわけです。

ちなみに「青春の輝き」はカレンが26歳の時のリリースですが、25歳頃ではすでに体重が41kgだったそうです。このためこの年に予定されていた日本公演も中止になりました。

“青春”はある意味、夢中になって何かを追いかける、没頭するということかもしれません。しかし、何かに没頭するということは同時に他の大切な何かが、分かっていながらも手つかずのままにならざるを得ない側面も存在します。カレンの場合は歌の世界の理想を追いかけつつも、現実の恋や愛もあとまわしになってしまったのかもしれません。

 

つまりカレンがこの楽曲が最も好きだと言った理由はここにあって、カレンのいわば青春の光と影、青春の輝きとその裏側に秘められた悲しみという二重構造の心のありようが歌詞とメロディーに映し出されていたからではないかと思います。孤独な悲しみを抱き続けて誰にも打ち明けることは出来ない、でもそれは歌を通してなら表出し心を解放することができる、そんなカレンを連想してしまいます。

 

ちなみにこの歌詞を書いたのは兄のリチャード・カーペンター、ジョン・ベティス、アルバート・ハモンドの3人です。兄は妹カレンを誰よりもよく知っている存在ですし、ジョン・ベティスはこの兄妹と音楽活動をともにして来た仲間です。この2人がカレンの心の苦しみを最も身近で感じていたと想像するのは自然なことと思われます。

 

さらにこのジョン・ベティスが当時、カレンに恋をしていたという話も気になります。ジョンは恋するカレンを快復させるてだてを考えていたようで、音楽に没頭しているカレンの気持ちを自分の方に向かせることで病状を改善させようとしたと言われています。そのひとつが歌詞を通してカレンに必要なものを気付かせる、つまり「(カレンは)恋をしていなかった、愛が足りなかった、だからこれからは恋をしなきゃいけない、愛が必要だ」という意味の歌詞を作ってカレンに歌わせて気付いてもらおうとしていたようです。

 

しかし、ベティスの想いもむなしくカレンは「恋」の方ではなく「ひとつの夢(自分なりの歌の世界を追求する)」の方を選ぶことになったのでした。

 

 

カレンの「完璧な世界」

 

「青春の輝き」のメロディーには情緒的なうねりや起伏があり、その中のところどころにマイナーコードがちりばめられています。それらにはきわめて得難い宝物の輝きと、同時にその裏に秘められたほろ苦さ、哀しみ、苦しみが盛り込まれているようです。

上の動画はライブ演奏であるにもかかわらず、カレンの歌には1点の乱れもなく、あたかもスタジオ録音を編集して仕上げたかのように完璧に歌い上げています。おそらくこれがカレンが求めていた世界だったのではないかと思えます。

 

兄リチャードの作曲や演奏が完璧だという評判に、妹カレンは兄に遅れまいと必死に努力していたと言われています。実際、カレンの完璧な音楽性を示す逸話がいくつか残っていて、たとえばカレンがドラムスを担当していた10代の頃の演奏を聴いたプロの録音担当者がそのリズムの正確さに驚いていたという話も残っています。兄リチャードと創り上げる音楽に関して常に完璧を目指していたことがわかると思いますし、ここにカレンの目指していた音楽の原点があるのだと思います。
 

つまり、カレンが求めた「完璧な世界」とか「ひとつの夢に縋って」というのはどんなことだったのか、おそらくそれは彼女自身以外には再現不可能ないわゆる“オンリーワンの歌の世界”の追究と完成ということだったのではないかと思います。

そして「いつか見つけるわ」という言葉には他の何を差し置いても最後まで完璧な歌を追求する姿勢と強い意志と決意とが込められているのだと思います。
 

 

カレンにとっての「青春の輝き」

 

ご存じの通り、カレンは1980年、30歳で結婚しましたが1年で破綻、以前から患っていた摂食障害が原因で1983年、32歳の若さで亡くなってしまうのですが、今でも世界中の多くのファンがその死を惜しんでいます。

しかし、カレンが残した歌唱は他の追随を許すことがない頂点を極めたのは確かなことだと思いますし、これこそが“カレンの青春の輝き”であり、そしてその輝きはいつまでも失われることがないのだろうと思います。邦題で「輝き」と言う言葉があえて使われた理由がここにあるのだと私は考えています。

 

わが家の垣根の菖蒲の花が開きました