オリジナルはピアノ(パリ音楽院在学中、ラベル24歳)ですが、オーケストラ(後年、本人による編曲)もあります。

パヴァーヌというのは16~17世紀ヨーロッパ宮廷で普及していた舞踏で、タイトルの意味を分かりやすく置き換えると“昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ”ということになります。

このゆっくりしたテンポで郷愁を誘うような一種もの哀しいようなメロディーは癒やしの音楽として取り上げられることもありますが、実際、聴き始めると心が安らぐようでつい何度でも聴きたいと思ってしまいます。

この曲について、ピアニストの三浦友理枝さんはNHK「らららクラシック」で次のように解説されていました。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は長調と短調が入り混じった、明るいのか暗いのか判別が難しい音楽。これは「調性」の概念が生まれるよりも前、教会で聖歌を歌っていた時代に用いられていた「教会旋法」という手法です。それが「亡き王女のためのパヴァーヌ」に用いられていることから、古い時代の音楽を思い起こさせ、どこか懐かしい響きになるのです。(以上「NHKらららクラシック」より)

ラベルの作曲の意図としてよく言われるのが、ベラスケスの名画「マルガリータ王女」の肖像画を見てインスピレーションを得たからだということですが、作曲者本人は王女の死を悼んで作った曲ではないと言っているそうです。ところがこの曲にどんな思いを込めたのかということについてラベル本人は何も語っていません。

 

実際、作曲の動機として王女そのものは有力な手がかりなってはいないようで、絵と音楽の関連性について書かれた例が見当たりません。むしろラベルが深い関心を寄せていたのは王女の絵そのものというよりは、王女の絵も含めたスペインそのものに対してではなかったかという観点が必要なのかもしれません。

 

スペインとラベルのつながりを考えるとき、まず挙げなければならないのが彼の母親がスペインの出身だったということです。幼いラベルは貧しい生活にもめげず母親がスペイン民謡を明るく歌っていたのをよく聞いていたのだと伝えられています。

 

ラベル自身が自ら明かすことはありませんでしたが、彼にとって母親は大きな心の支えであったようで、この「亡き王女のためのパヴァーヌ」に母親を慕う思いが反映していたと考えるのは自然なことだと思います。

 

後年母親が亡くなったあと、ラベルはそのショックからほとんど作曲活動をしなくなったほどだったそうです。母親がラベルにとっていかにかけがえのない精神的支えであったかということがわかるエピソードだと思います。

 

ちなみにスペイン関連ではかの有名な「スペイン狂詩曲」「ボレロ」などの名曲も残していますが、彼の母親にまつわる思い出がラベルのスペインへの深い関心の原点となっていて、作曲上の重要なモチーフになっていったのは確かなことのように思われます。

作品の発表後この曲はたちまち評判になり、特に若い女性たちに人気があったそうです。ところがラベルは人前では自作を不出来な作品だと卑下していました。それはどうやら本心からではなく、むしろ母への深く秘められた思いを人に知られまいとしていたのではないかと思われます。

ラベルが晩年に交通事故を負い、その影響で記憶障害になった際、ある日どこからか流れてきたこの自作のメロディーを耳にして「誰がこの美しいメロディーを作ったのだ?」とつぶやいたのだそうです。
 

記憶障害があったとはいえ本心を率直に語っているのは明らかで、人前では自作を不出来な作品だと卑下していたのは本音ではなく、母への深い思いを大切にするがゆえのカムフラージュだったのだと思われます。

いいかえれば、三浦さんの言う「どこか懐かしい響き」とは、ラベルがお母さんを慕う気持ちの深さでしょうし、また「長調と短調が入り混じった、明るいのか暗いのか判別が難しい・・・「教会旋法」という手法」は、ラベルの心の中にいつもあった“貧しくとも明るく振る舞っていた哀しくも清らかな母の存在”を表現する上で必要な表現法だったのではないかと想像されるのですが、いかがでしょうか。

 

 

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