愛猫は
私の充電器のような存在であり
また、抗生物質の役目もあったんだと思う。



ひとつのことで

少しでも嫌なことが起きたら

連鎖反応で

それとは関係ないことまで

なにもかもが嫌になるんだけど


猫ちゃんが居たから

その『すべてが嫌』を

最小限に10個ぐらい嫌

止めてくれてたんだと思う。




愛猫が居ない今、

もうなにもかもが嫌だ。


『嫌という気持ち』に

歯止めが効かなくなって

なにもしたくない。


『嫌』という気持ちが

全身に広がって

毒素がたまって

意識がモウロウとする。


わたしにとって

愛猫は

唯一の心のお薬だったのであろう。




シンプルに

もう無理が出来なくなっているんだと思うし



ここまで

『生きるということ』に

無理してたんだな。と


つくづく気づかされる。



私はもう

無理してまで

嘘をついてまで

生きていたくない


自分に素直になりたい


なにもしたくない

人と関わりたくない


でも世間はそれを許してくれない


だから

生きることが

嫌になる。






でも

だからといって


希死念慮に逃げ込むのも


自分に

プレッシャーを与えてるというのにも

最近気づいた。



希死念慮があるから

失敗したときの不安

死ねない自分に対しての自己嫌悪が生まれる



なにより

そんな気持ちを言えずに

抱え込むしかない

マイノリティの孤独に蝕まれる





だから

頑張って


『生きなければならない』と

無理やり自分に言い聞かせ


自分を納得させる為に

生きることに意味を求め


『生きがい』

見つけたフリをし

それに没頭してみるが


結果はいつも失敗に終わり

苦しむだけだ。


本当は『生きがい』なんか欲しくないのに

死なせてくれない世間が恐くて

世間に合わせて

自分の意思を殺して

テキトーに作った生きがいに逃げて

生きようとしてるだけだもの


苦しさから始まってるから

苦しみで終わる



ごまかせない




創作活動も

何か遺さなきゃいけないという

世間からのプレッシャーと

自分自身への焦りから生まれてるだけだ。


普通の人は

家庭を作って子供を残したり

仕事で役職付けて

社会に貢献し

自分の名を残す。


そのどちらも

魅力的に思えないし

欲しいとも思わない自分は

なにか作品を遺さなければ

思い続けてきたが


解放してあげよう。


素直に

『なにもしたくない』

『産まれたくなかった』

そんなダメ人間な自分を

受け入れよう。




そもそも

才能や実力は置いといて


作っても

ここまで広まらなかったのは


心の奥底に

人と関わりたくない

あるからだと思う。


お金が欲しかった。

作品でお金を得るには

たくさんの人に売らないといけない。


そんな時間的余裕はないし

人が増えると

変な客に遭遇するだろう。



作ったあと

売りに出す時


いつも恐れてた



変なクレーマーに遭遇したらどうしようと。


変な人間関係に絡まれたらどうしようと。



恐れから始まるから

うまくいかなくて当然だ。


そして

シンプルに

在庫を捌けない自分に対しての自己嫌悪

私は勝てなかった。


もうこんな思いを抱えるくらいなら

作らなくていいや。と

手放すことにした。


もう無理はできないから

頑張れない。


『創作活動で得たお金で

iPadを買う』が私の目標だったんだけどね笑


創作活動しない方が

iPad買えたと思う笑



もう疲れた





今、最低限のことしか出来ない。


人と喋ったり関わるのって

こんなに疲れるんだな。。


人と関わるから

ピエロを演じる


わたしには

ピエロを演じる力が

もうない。


親との会話も

本当に億劫で


ていうか

耳鳴りで

言葉が拾えないし


呂律も回らない


だから

リモートのこの仕事が無くなったら

私は詰むな、きっと。




ピエロを演じるから疲れる。


人と関わらなければ

ピエロを演じなくて済む。


だから

残りの人生は

徹底的に人と関わらないことにする。


というか

人と関わるエネルギーがない。


これが

唯一の自己防衛であり

自分軸の考えだ。


私らしさだ。



関わりたくない。

しゃべりたくない。

そっとしてほしい。







早く死にたい


それしかないんだけど


自殺は許されないし



さっきも書いたけど

死にたいと思えば


死ねない自分に対して

自己嫌悪がしどくなるだけだし



ここにきて

引き寄せの法則をつかうしかない




自殺ではなく

死を招く方法を模索してる。


すべての選択を

死ぬ前提で決めてる。


いつ死んでもいいように

死んだ後の処理が楽な方を選ぶ。


そして

少しでも

現金を遺せるように

せっせと部屋にあるものを

メル◯リに出してる。


童話の『最後の一葉』のような気持ちで。





つくづく感じるのが


死んだらお金は持ってけないが

死んでもお金は残る。ということ。


つまり

お金しか遺せない。



モノより想い出というけど。


あの世に想い出は持ってけるかもしれないけど

この世には遺せないからね。


簡単に言えば


わしが死ぬとして

わしの推し活での推しグッズなんて

わしが居なくなったら

ただのゴミにしかならない


遺された人にとっては

なんの思い出もないんだから。



他人からしたら

想い出なんか邪魔くさいだけ。



だから

少しでも現金化することがマナー

芦田物申すマナー


これが今のわたしができること。



あとは

エンディングノートを作る。


昔はいつでも死んでいいように

定期的に『遺書』を書くことで

心を落ち着かせてたけど。


書きたいこともないし

書き残したいこともない



真顔



まだノートは書いてないけど

このデジタル化社会物申す


それぞれの

IDとパスワードをしたためるだけで

大仕事よな滝汗滝汗滝汗


わしは

サブスクはAdobeしかないけど💦


希死念慮の有無は置いといて

人間いつ死ぬかわからないから

亡くなった後の解約とか考えたら

サブスクは最低限に抑えるのも

芦田物申すマナー



しかし、

このIDとパスワードありきのデジタル化社会

ボケたら大変よな泣くうさぎ💦💦


逆の立場(パスワード忘れた人の相手)も

大変そう。


さっさと死にたいわ←




でもなんか。


今まで

『猫ちゃんの世話』という最大のブレーキがあったからここまでこれたけど


それがなくなった今

本当に自分がどう出るかわからない。


ひとり暮らしのときとかは特に

『猫ちゃんの為にも身体を壊しちゃいけない』と緊張感と責任感あったから


なんかそれも壊れて

シンプルに近々

生まれて初めての

入院生活とか経験しそうな気もする


🤔


どちらにせよ

いつ死ぬかわからんから

常に死を迎える準備は大切ですね。






水曜の幸子には痺れた真顔



これは神回じゃないか?





福永アナの

『黒ヒゲ危機一髪みたい』という発言も素晴らしかったし


それに対しての

村雨アナの実直な返しも見事拍手



(冒頭のいつもの幸子の決めポーズ)


幸子のクレイジーを

控えめにかつ最大限に活かす

福永アナと村雨アナは

もっと評価されてもいいと思うの




とんでもない



是非、動画もお楽しみください↓