実は勉強するモチベーションが消えやすい6月、同時に偏差値表に嫌でも関心が向き出す時期でもある。
残念なことに、相対評価の世界では偏差値が絶対的な指標になる。相対評価なのに絶対的な指標が存在している。
「偏差値」と「○○人に1人がそれぐらいの偏差値を取れる」という数字は完全にリンクしている。偏差値60を取れる人数と同じだけ偏差値40を取る仕組みで、この論理は偏差値30にも残酷に適応される。裏を返せば、偏差値30と言う数字は、偏差値70を取る天才と同じ希少性なのである。
偏差値70の希少性なんて偏差値表を見れば嫌でも実感することが出来るだろうし、偏差値30前後は諦めを考えるのに悪くない数字となっている。
最近某塾の講師が「偏差値55から見て、偏差値45は1スパイラル分授業が遅れ、定着率も低いからそれ以上遅れる」と言っていた。確かに偏差値55というのは御三家を志望して合格率50%を取れるかどうかの関門としてちょうど良い指標だし、それぐらいからαと付けているサピックスのシステムはよく理解が出来る。
問題なのは偏差値45側の議論で「定着率も低いからそれ以上遅れる」という内容だ。偏差値45ぐらい、つまり1スパイラル分の遅れぐらいまでは、テキスト側の工夫ですくい上げる事が出来るような状態で授業が進んでいる。定着率(そして自分で考えられるコンディションの時に自分で考える力を身につけさせる)の改善次第では、偏差値55の関門まで復活することが出来るのは決して楽観的な見方ではない。
ではその先の偏差値35辺りはどうだろか。2スパイラル程度の遅れ(半年~1年の遅れ)を補助教材等でカバーして授業は成立していると思う。この遅れを乗り越えれば関門に到達することも出来るかもしれない。実際、当時の私はここから、8月末に関門まで到達した。子どもは可能性の塊(だと評価する根拠があれば)だと思い伴走していくことが良いと思う。「1分野でも得意だから同レベル帯で無双できる。」そんな子は可能性がある1例だと思う。
最近知り合いと話していて苦い仮説に行き着いた。同じ学校のクラスに、言われるがまま勉強してたが才能が無く行き着いた子と、豊かな文化資本を背景にあまり学習せず合格点を取った子が席を並べ、大学受験を目指して私立中高一貫校に通う。そんな光景があるのではないか。という仮説だ。
そんな仮説はおいておき、その子に対して周りの大人が出来る事をし続けてあげるだけの季節がやってくる。