麻衣相法【行不(レ)動(レ)身 積(レ)財有(レ)壽】(※ゆきてみをうごかさず ざいをつみじゅあり)
この段の「身動かさざる」は、なぜ「財を積み」にまでの見方なのかの一部分のくだりが気になります。何をよりどころとして、何を読解すべきか・・・・。そして思うのは、「財を積む」でがヒントであるとしましょう。
もう一点は、遠心力の「みかけ上の力」をヒントとして。と言うのは「行きて」にかかってきます。遠くを見る、思いを遠くに馳せるならば、その狙いは正しいのか?とか、大きくて、有用でなければ身は重くなりえない理屈になります。
ここに身動かざるの財を積むほどに重みが、遠くに投げるような放物線の「みえざる力」となっているとしましょう。
改めて思うのは、麻衣相法の言葉にはガチンコがあり、一字、一字に重みがあり、深いことを。さて、ただの歩行と「行きて」との差は、放物線的な綺麗さがある、なしの差と考えたいところです。
そこで、財を積んでの身動かざるのか、財を積むから身動かざるなのか?これは進行中で、財を積みつつある姿と解釈して。
【コーヒータイムの辞として】
例えば、「朝日を眺めている視線」が歩行の時に知らず識らずのうちに出ていて、そのような姿が身動かず(揺らがず)として出るのでは・・と解釈しましょう。と言いますのも、日の出には清々しさ、勢いがあり、計り知れないものを感じるからです。ある意味、「財」も「寿」は大事にすべきもの、敬い重んずるべきものでしょう。
【まとめの辞として】
光を神として、慈愛として、「財は愛」とするならば、日の出を仰ぐことで、あるいは、その視線を持つことで慈愛と愛を受け取れることにしましょう。してみれば、個人や役員や、リーダーとしてスペシャリストとして妙に輝きを持っている人は、無意識に朝日を仰ぐ角度、少なくても正面向きで、まして正面以下はないでしょう。ここで、注意してほしいのは、まったく輝きを失う正面向き以下では・・・・と考えて頂きたいところです。「この謎は、歩行に出る姿に」ということです。