◆「親しき中にも礼儀あり」(その5):

 

・・・・・・井川治久先生にインタビューしたところ、「★秘話」が明らかになりました。時は、1986年、井川先生が早稲田大学・第一文学部・英文科4年生の夏休みに、高田馬場の学校法人早稲田予備校で「面接試験」を受けて、すぐにその場で「早稲田予備校英語科講師」に採用されたそうです。その時には、既に、井川先生が、受験英語の学習参考書を3冊出版(新声社・刊 『早稲田・慶応らくらく突破シリーズ』)されていたので、即採用につながったのではないかとのことです。面接官は、当時の早予生(そうよ・せい:早稲田予備校の生徒)の誰もが知る秋田佳子校長先生、津田副校長先生、佐藤副校長先生 (淵井校長先生も?)であったとのこと。・・・・・・こうして、井川先生は、予備校業界に「最年少講師」としてデビューすることが決定。ところが、新年度の1987年4月になると、やはり「一年目の新人講師」ということで、「週3日出講して、たったの3,5コマ(週に3コマ半)の授業」しか、担当させてもらえなかったとのことです。「井川先生の実力が試された一年目」ということです。・・・・・・それでも、新入社員並みの月給をいただけたとのこと。その理由は・・・・・・とにかく、秋田校長先生が、井川先生に、「長く予備校で教えるつもりなら、★良質の★良心的な授業準備を心掛けて、担当する授業のコマ数を少なめにして、たくさん勉強してください」と、念を押していたそうです。これには、井川先生も全く同感であったとのことです。・・・・・・早稲田予備校の大教室の教壇にデビュー当時の1987年度、井川先生は、早稲田大学・教育学部・専攻科に進学もされており、当時のNHK「続基礎英語」の担当講師でもあった田辺洋二教授に、「英語音声学」を習い、日々、英語の発音をネイティブ並みに近づけるように、訓練されていたそうです。(以下、クリックして、お読みください。)