【2006年(平成12年)の日記】
YAHOO!ジオシティーズのホームページに書かれた卒業生OB・OG日記を、このブログに保存します。

転載元:

****************************************************

40度の熱でも、町田校の元旦テストに出講した井川先生、恒例の延長授業。


1990年代のある大晦日のこと、最終講義を無事に終えて町田駅から小田急線の急行列車に乗ろうとされている時、井川治久先生は「寒気がひどい!」と突然おっしゃいました。「止めようと思っても、体が、勝手に震えるんだ!」と。。。。アシスタントの私が、付き添いまして、看病に当たりましたが、体温計を脇に挟むと、40度の発熱。寒いわけです。。。。実は、翌日の午前に、元旦テストという毎年恒例の早稲田予備校の伝統行事を控えておりました。

(元日の井川先生の御話): 紅白歌合戦の終盤戦のなか、常備薬を飲み込んで「爆睡」するか、タクシーで病院に駆け込むか・・・の二者択一を迫られました。。。。キャンセルなどは、あり得ない。200人もの受験生たちが、受講料を町田校に納めている。★熱があろうが、さめようが、とにかく、教壇に上がることだけは、間違いない。。。。200人の受講生の顔が、目の前を、ぐるぐる回った。火照った(ほてった)頬(ほお)の熱で、もっと、回ったなぁ。。。。決めたっ! 暖房の設定を30度にして、となりの部屋も30度にして、パジャマに、セーターに、ジャケットをまとって、ふとんを4枚かけて、薬を飲んで、、、、朝まで大汗をかいて寝ました。元旦の今朝、37,4度まで、なんとか下げた!・・・・・・元旦の 町田校での講義は、この話から始まりました。満席の受講者に対する★「使命感」から、講義に「熱」が移り、井川先生の肉体から、熱は消えた。。。。★延長講義解説のあと、講師室に戻られると、一升瓶と職員の女性たちの手製の御節(おせち)が並んでいた。町田校副校長であった井川先生への、小林事務長さんの取り計らいでありました。いい時代!早稲田大学に合格したOB、平林量平くんが、井川ゼミ記念撮影のシャッターを切った。カシャッ!!!


*****