(YAHOO!ジオシティーズが、2019年に終了するとのことで、こちらのブログに転載して、記事を保存します。)
転載元:
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【2006年に書かれた、井川ゼミ卒業生・同窓会の記事】


◆井川治久師の予備校全盛期の懐かしい名物講義(仙台校編)。

@そうよ(早予)「井川部会」同窓会

東北新幹線で、宮城県に向かって行く。郡山を経由して、仙台駅近くになると、減速が始まる。つんのめる感じがしたかな、と思って、左手を見上げると、のろのろ運転の中、早稲田予備校仙台校の、どでかい建物をみあげることができた。。。。福島、秋田、さらには青森から、何時間もかけて毎日、通いつめる同窓生たちがいた。寮は、早い者勝ちだった。今では想像もつかない予備校ブームと、何重にも膨れ上がったバブルの最中、一般家庭でも退職金を叩いてピッカピカの仙台校の新校舎に我が子を遣る親御さんまで出現した。。。。それだけ、1990年には、★親子の絆(きずな)が固かったという、何よりの証拠である。。。。すごかったのは、仙台市内の地下鉄。当校の名物講師の顔写真が、毎車両に出ていた。井川治久先生は、鉢巻を、いつも締めていた。地元の新聞(河北新報)にも★合格鉢巻で登場した。。。。仙台国際ホテルは、著名講師を歓迎した。1階のコーヒーラウンジで、私たち生徒は、コーヒーをご馳走してもらいながら、ものすごく丁寧に質問を受けてもらった。井川先生の当時の話では、・・・・・・『予備校には感謝している、だからこそ、★命がけで、講義ができる。★キミが本気で第一志望をめざすなら、 質問は、いくらでも、受ける。・・・・・・ボクの代ゼミでの恩師の椿本昌夫先生が、そうだったから、、、。』とのこと。★『根性とパワー』も、井川先生の口ぐせで、恩師の田島稔先生の精神を受け継いだものとのことだった。。。。全力投球をしている師に習った子弟は、幸せだ。井川ゼミ卒業・第2期生、佐藤忠則くんは、この時、まさに浪人生で、福島からやって来ていた。

■追伸■「連休」に、井川先生のところに遊びに行ったら、・・・・・・「今は、教えている生徒の数は少ないけど、教える限りにおいては全力投球を心掛けているよ! 英語の参考書の執筆にも、力を入れている! スローライフの中で。。。」 とのことでした。