皆様、こんにちは。
12年の仲の七海からご紹介に与りました、
スポーツ科学部4年の堤茉央です。
毎年、当たり前のように綴っていたアメブロもいつの間にか最後のインカレに向けて書く学年になってしまいました。
さて、最近は『良いこと悪いこと』というドラマにハマっています。私の考察話に付き合っていただいているみんないつもありがとう🙌🏻
犯人は今週の土曜日に明らかになるそうですが、
それ以上に大切なのは、インカレです。
遂に、インカレまで
あと1日となりました。
今回58kg級の正選手として出場させていただきます。
拙い文章ではありますが、
最後まで読んでいただけたら幸いです。
憧れて入った早稲田大学。
この場所は、当時の私には手の届かない"夢"のような場所に思えていました。
高校時代、私は一度も全国優勝をしたことがなく、良くて3位。常に追いかける相手がいました。
それでも、早稲田に入りたい。
もっと強くなりたい。
そんな一心で挑んだ受験でした。
合格したとき、ここで変わる。と本気で思いました。
そして、大学1年のインカレ。
追いかけることしか知らなかった私が、初めて追われる側になりました。
完全優勝という結果を手にしたあの日、嬉しさと同時に、ここからが勝負だと強く感じたのを今でも覚えています。
あの日から、私の4年間が始まりました。
しかし、順風満帆だったわけではありません。
4年間の中で、私の競技人生で避けられない挫折の瞬間がありました。
2024年2月3日
全日本ジュニア(世界ジュニア選考会)目前の練習で右肘の内側側副靱帯を損傷したことです。
昨年の世界ジュニアのリベンジを必ず果たすと強く決意し、調整を進めていたあの日。
このままいけば基準突破も見えていて、過去一番と言っていいほど調子が上がっていた時期でした。
しかし、その怪我によって、最後の全日本ジュニアも、リベンジの世界ジュニアも、努力してきた時間も、積み重ねた気持ちも全てが途切れました。
「あの重量で終わっておけばよかった」
そう思わなかった日はありませんでした。
モチベーションを失い、ウエイトを辞めたいと本気で思ったのもこの時でした。
それでも部長、監督、コーチ陣を始め、いつも支えてくれる両親、先輩、後輩、そして同期が、また上を目指す環境ときっかけを与えてくれました。
そして何より、母が上京前にくれたあの手紙が頭をよぎりました。
「何のために大学へ行くか、しっかりと目標を持って下さい。」
悔しさも後悔も大きかったけれど、少しずつ、また前に進めるようになりました。
私は、完璧なキャプテンではありませんでした。
頼れる背中を見せられた日より、迷って立ち止まった日の方が多かったと思います。
それでも、
私には最高の同期、
最高の後輩、
そして互いを高め合える最高のライバルがいる。
この仲間と一緒に最後のインカレに挑めること。
それが、私の4年間の答えです。
このチームで臨む最初で最後のインカレ。
私たちは、やることは全てやってきました。
仲間を信じる気持ち。
自分を信じる気持ち。
支えてくれた全ての人たちへの感謝の気持ち。
やりきった!
と全員が、笑顔で終われると信じています。
明日からの3日間、
早稲田大学ウエイトリフティング部の応援よろしくお願いいたします。
みんな最後に!!!!
いくぞ!!!!
おーしっ!!!!!!!!!🔥


