こんばんは。文化構想学部3年の草野です。
後輩氏が更新してくれた直近のブログを読んで、なるほど…と思ったので自分が思ったことを書きます。
直近のというのは5月27日の「きっかけ」という記事ですね。

「先月、塾を想定した模擬授業に参加した際に、周囲の塾観に疑問を持ちました。偏見とは言わないが、一定の固定観念があるのではないか。その問題意識が、今回の勉強会の動機のひとつとなり、方向づけとなりました」

とのことでして、まずは自分の塾に関する話ですが思い返せば幼稚園の時には英語塾に通い、小学生の時には中学受験のために集団指導の塾と個別指導の塾に通い、この個別指導の塾には高校を卒業するまでずっと通っていました。
さらに高校生の時には大学受験のための英語専門塾と世界史の予備校に通っていましたので、塾にお世話になりっぱなしの人生でした(´・ω・`;)

そんな私が塾について小学生の時にどう思っていたかというと、「学校いらない。塾だけでいいじゃん(`・ω・´)」という感じでした。
中高生の時には学校いらないとまでは思っていませんでしたが、「塾の先生の方が分かりやすい。役に立たない授業多い(´ー`)」とか思ってたわけですね。
過去に戻って自分の頬ひっぱたいてやりたいです。どれだけ先生にお世話になったと思ってるんだよ!って感じです。

このように私が学校より塾の方がいい!学校は塾より役に立たない!と思っていたのはどうしてなんだろう?と考えてみたときに、当時の自分が持っていた「いい/悪い」「役に立つ/役に立たない」の判断基準が何だったのかを振り返ってみることにしました。すると、その判断基準は受験に役立つかどうかということだったように思います。
確かに自分の通っていた塾は受験の対策をする塾で、通ってくる児童生徒はそのような目的を持ち、塾側はその目的達成のために全力でサポートしてくれました。
一方で学校は体育祭やら部活やら、合唱コンクールやら何ら受験の対策にはならないと思われることをしている場所だったわけです。
当時の自分からすると確かに「こりゃあ役に立たないわ(´ー`)」という気持ちだっただろうと思います。

今、学校から離れて学校を見ると学校には様々な役割があることに気付きます。
部活にも体育祭にも合唱コンクールにも意味があったわけですね。
その様々な役割全てを果たすのはとても難しいように思います。
なぜなら私がある一つの役割が果たされていない!と言ったとしても、他の人は私とは別の役割を強く学校に求めているのかもしれないわけで、その様々な役割を一人一人が求める水準で全て果たしていくのは無謀にも思われます。無謀でも努力の必要はあると思いますが…。

一方で生徒は求めていない役割についても考える必要があるように思います。
例えば、中高生の時の私は受験に役立つ授業や手段を提供する役割を学校に求めていたわけですが、そのように求められている役割だけを果たせばいいのかというとそれは違うように感じます。
学校の役割を考えていくことも学校の役割の一つなのかなと思いました(´・ω・`)