こんにちは。文化構想学部3年の草野です。
三日坊主にならないようにブログ書いていきます。今日もまとまってないです(´・ω・`)


教育実習の内諾に行ってからというもの、学校のことを考えてしまいます。個人的には中高時代のことはあまり思い出したくないので複雑な気持ちです。

学校という場所は当たり前がたくさんあるところのように思います。
当たり前に制服を着て通い、教室で授業を受ける。そういう当たり前がたくさんあります。
以前、鈴木翔さんの著作で本田由紀さんが解説をなさっている『教室内(スクール)カースト』(光文社・2012年 )という本を読みました。
題名通り「スクールカースト」(スクールカーストとは同書によると「主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽はみられる」と書かれています)について書かれた本なのですが、確かにスクールカーストと呼ばれるものは存在していたと自分の中高時代を振り返って思います。それは制服や授業と同じように当たり前に存在していたように思います。

当たり前のことが辛かったり、当たり前のことに傷付いたりということはあると思うのですが、それは当たり前じゃないことが辛かったりするのよりも声を上げにくいように感じます。
例えば他の人から「そんな普通のことみんなよくあるんだから辛いうちに入らない」と言われたり、自分でも「こんな当たり前のことで辛いなんて甘えだ」とか、当たり前ってそう思わせるような強い力があるように思います。

当たり前のことはないと思うのですが、多くの人が当たり前だと思っていることは世の中にたくさんあるそうです。
学校で作られる当たり前もたくさんありますね。
世の中では「当たり前」のことが「当たり前じゃない」ことになっていく場合もあります。
世の中全てを!なんておこがましくて私には言えないのですが、当たり前でも辛いことがあれば声を上げられる場所として学校があればいいなあと思います。そのためにはまず学校にある当たり前だと思っていることについて考えないといけないですね。


当たり前について悩むブログでした。
予定通り、まとまってないです。