どうも!渡邊です。今回は、月曜日に行った模擬授業の報告をしようと思います。

範囲は、日本史Bより「公武合体と尊王攘夷」でした。以下、『』まで授業内容の要約です。



『まず「桜田門外の変」が発生したことを前提として、幕府、朝廷、諸藩の関係性を図示、公武合体について説明しました。その後、「坂下門外の変」が発生し、安藤・久世が失脚します。そこで新たなる公武合体の形として文久の改革が行われたことを説明します。また、改革後、帰藩中の島津久光による「生麦事件」やそれが原因とした発生した「薩英戦争」について説明し、この戦争により攘夷が不可能であることを薩摩藩が悟ったことを確認しました。

 次に尊王攘夷の概念発生に関する史料を読み、史料中の「教法」(=キリスト教)が尊攘派の恐れていたものだということを過去との関連から考察させました。そこから尊王攘夷運動での長州藩の政治動向に関して概説しました。最後四国艦隊下関砲撃事件+第一次長州征伐によって長州藩が敗北し、攘夷の不可能を悟ったところまで、写真資料を交えながら説明しました。その後次回予告を行い授業を終えました。』



この模擬授業の大きなテーマは、通常時「授業」として成立する「授業」、でした。

つまり、いつも研究授業みたいな授業を出来るわけではないので、通常の授業形態で出来る限りの工夫をし、かつマクロな視点から見て、授業が成立する授業を試してみたかったのです。

具体的には聞いていてくれれば面白い授業、「へぇー」、「そうなんだ!」という声が脳内再生されてくれれば、本望、という授業でした。一見、若干志が低いかもしれません。



なるほど、そういう見方も出来ると思います。しかし、個人的に毎回の授業において思考を取り入れるのは、厳しいと思っています。やはり授業時間数の問題が大きいからです。

この限られた授業数の中で、「受験対策」を含めて授業を行うことは非常に難しいものです。一言で言えば、あまり自由がない。

受験を意識している高校においては、やはり「受験」は大きなウェイトを占めます。(良かれ悪かれ)

それは保護者や学校、また生徒から求められるところであり、それを無碍にはとても出来ません。勿論、自分の信念とは若干異なる授業になるのかもしれませんけれども。



確かにやろうと思えば、受験志向の授業であっても、毎回の授業に思考を入れることは出来るかもしれません。(今回の模擬授業も結局そのようなスタイルでした)

ただし、その「思考」が時間を経て形成された思考でないのならば、それは浅いと云わざるを得ません。

やはり時間を掛けて、醸成された思考こそが大切なのではないでしょうか。

深い思考を醸成する授業は、通常授業とは別に時間を確保する必要があると思っています。

また、教育困難校においても、今回行った授業形式とは、違ったものを考える必要があるでしょう。そこは課題です。



そういった今回の反省を生かして、次の模擬授業では、興味・関心、思考力の育成を主としたものを考えています。

その前に勉強会を行うかもしれませんが、いずれやってみたいと思います。



近頃はめっきり寒くなってきました、もうすぐ冬なのかー。早いなぁ・・・

2年渡邊