先日友人と海に行ってきて、こんがり日焼けしてしまった近藤です。

杉本さんは毎回色んな記事を書いてて、ほんとスゴいなって思います。

どっからそんなにネタが湧いてくるのか…、いや違いますね。自らの意思で、いろんな事を考える機会を設けているんですよね。

せっかくの長い夏休みなので、遊んでばかりいるのではなく、忙しい中ではじっくり考えることができないような事について考える機会を、私も自分で作り出していこうと思います。


さて今日は、友人から聞いた面白い話をしてみようと思います。


皆さんは、道端で2人の男女が手を繋いで歩いているのを目撃したら、どう思いますか?

ちなみに私だったら、平和だなぁと思いつつも、リア充爆発しろ(^ω^)と呟いて、2人から離れていきます。

その台詞は、決してリア充に対しての怒りではなく、非リア充である自分に対する虚しさから来るものです(笑)

心が広い友人は、末永く爆発しろと言って、視界から消えるまで温かく見守ってあげるそうです。


では次に、道端で2人の女性が手を繋いで歩いているのを目撃したら、どう思いますか?

私は、とっても仲の良い女の子達だなと微笑ましく思います。

ちなみに友人は、ギャー!!百合キター(゜∀゜)!!と勝手に妄想して、興奮するそうです。


最後に、道端で2人の男性が手を繋いで歩いているのを目撃したら、どう思いますか?

私は、心の中で頑張れよと呟いて、2人から静かに離れていきます。

ちなみに友人は、ホモktkr!!ハァハァ(´Д`)とまたしても興奮するみたいです。


さて、この話で大事なポイントは最後の質問にあります。

おそらくですが、1つ目と2つ目の質問の皆さんの答えは、たいてい私のものと同じか、それに近い答えかと思います。

しかし、3つ目の質問はどうでしょう?

もう1度聞きますが、道端で2人の男性が手を繋いで歩いているのを目撃したら、皆さんはどう思いますか?

女性同様に、仲の良い男の子達だなぁと微笑ましく思える人もいるかもしれません。

また、その男性同士というのが2人共まだ小さな子ども達だったら、何も違和感なく受け入れられるでしょう。

しかし大半の人が、大人と思われる男性同士のその様子に、目を疑ってしまうでしょう。

なぜなら、『普通』に考えて、男性同士が2人で手を繋ぐなんておかしいから。

わざとかぎ括弧を使いましたが、もし今のように『普通』という言葉を使って質問に答えた人がいたら、その人に私はその言葉の意味を問いたい。

『普通』って何ですか?

世間一般でそう受け入れられている、ということでしょうか?

確かに間違いではありませんが、世間一般という言葉からも分かるように、皆さんが思う『普通』というのは特定化不可能なものであり、1人1人の『普通』の感覚は必ずしも一致するとは限らないのです。

まとめると、所詮『普通』=大多数の意見としてマイノリティの意見が排除されていたり、個人の経験に依存するものであったりするのです。

友人の話に当てはめるならば、男性同士の恋愛に対する拒絶は、マイノリティに対する差別視に他ならず、変な目を向けることなく、そういう人もいるんだと、自分の中では『普通じゃない』ことでもきちんと受け入れられるようになることが、大切なのです。

リア充爆発しろで始まった友人との会話の終着点がまさか、とある1つの言葉に秘められた罠の忠告になるなんて、私自身思ってもみなかったです。

けれども、私は友人の3つ目の質問には上記の答え方をしています。

頑張れよ、という言葉に込められているのは、世間一般ではまだまだ受け入れがたい同性恋愛かもしれないけど、お互いがその壁を乗り越えて成立させている恋愛を、いつまでも続けていけるよう応援してるよ!って意味です。

実は私、友人の知り合いに、実際に男性同士でお付き合いしているカップルがおりまして、意外と『普通』に受け入れられたんですよね。


私の経験として実際にそういう人を知っていたからこそ、受け入れられたのです。

友人は、そりゃないよって凹んでましたが(笑)


スッゴく話が長くなりましたが、読んでいる皆さんにとっても、なかなか興味深い話だったんじゃないかと思います。

これから皆さんが『普通』という言葉を使った時は、マイノリティの中に大事な点を見落としたりしていないか、個人の経験に依存した未熟な見解でないか、少しだけでも気にしてくれると嬉しいです。



余談ですが、友人はアニメ好きで、ホモ(男性同士の恋愛のこと?)も百合(女性同士の恋愛のこと?)も大好きな変態さんです。

私に変態と言われたことに対して

「変態は褒め言葉だ!『普通』の人間より、『普通じゃない』人間の方が面白いと俺は思ってるからな!」

と自信満々に答えていた友人の姿は輝いていて、とても印象的でした。


ではでは