幹事長のブログはミスが無くて好きです。
自分のブログは誤字が多くて悲しくなります。
こないだのは電話しながら書いたのが失敗でした。


記事を持ってくるのは我ながら良い案であると思っています。
ある教授のパクリですが、自分も勉強になります。
しかし、ブログに引用するような記事となるとなかなか難しいですね。
自分の知識も求められますし、間違ったことばかり言うわけにもいきません。
そこも含めて、今後とも頑張っていきたいと思います。

8月は夏期講習で手一杯となり、自分の専門の勉強は捗らないと思います。
その分、9月は一生懸命勉強して、少しでも多くの知識を蓄えたいです。
本に書いてあることも、誰かがそう考えたという事実。
自分の論を固めるための根拠とするためにも、やはり勉強は大切です。

―ここまで夏の抱負―


―ここから本題―

何回目か分かりませんが、一先ず記事を読んで貰いたいです。
>今後のリーダー層に求められる力とは?

ざっと読むと、昨今の教育界で叫ばれていることがそのまま、リーダー層に求められている力だということが分かります。
確かに、人口一億人程度の日本を切り取ったとき、数ある労働力として生き残る道は閉ざされているかもしれません。
したがって、労働力の上に立つ人間として、グローバルな視点や革新的な視点を持つことは極めて重要であると言えます。

では、教育は何を目指せば良いのか。
教育も上記のような人間を育てれば良いのだろうか。
そこは個人が考えるとして、杉本なりの考えを提示しておきます。


僕にとっての教育は、未来永劫変わらないものであると思います。
それは、常に自分なりでいることです。
ホント一ヶ月に一回くらい書いてますが、それくらい推している考えです。

児童生徒が自分なりを持つこと。
これに対する反論は少ないと思っています。
教師が自分なりを持つこと。
これに対する反論は意外と多いのかなと思っています。


グローバルな視点や革新的な視点は99%くらい大切だと思います。
でも、僕はそうじゃない視点も99%くらい大切だと思います。
つまり、なんでも良いと思うのです。
どんな人間が育っても、それはもう杉本が決めることじゃないなと。

もちもん、無気力思考停止人間を育てる気はありません。
発展的で、建設的で、自分なりを確固たるものにしている人間を育てたいと思っています。
しかし、そうじゃない人間も、それはそれで彼・彼女なりの選択だと思うのです。


何が言いたいのか分からなくなってきたので終わらせます(・ω・)
どんな人間を育てたいか。
どんな人間が理想的な人間か。
教育は何を目指し、社会は何を求めているのか。
これらを考えることは極めて重要です。
教育を志す者にとっての至上命題になっていると思います。

でも、そんなのどうせ無理なんですよ(・ω・)
子どもに意志がある以上、僕の理想通りの子どもなんて一人もいません。
それに、そんな子どもじゃ面白くないとも思います。
だから、どんな風に育っても、その子を見捨てないことが大切なんじゃないかなと。
どう育てるかやどう育って欲しいかではなく、どう育っていくのかを見守るスタンス。
そんなのもありかなと思う今日この頃でした。

長くなって申し訳ない。
幹事長を見習います(・ω・)
杉本(・ω・)