【連載】『令和5年度卒業記念特集』第50回 荒川健祐/男子ソフトボール | 早スポオフィシャルブログ

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人としての成長

 

 『成長』――。荒川健祐(スポ=神奈川・柏陽)は男子ソフトボール部での4年間を振り返る際、何度もこの言葉を口にした。全日本大学選手権(インカレ)優勝を目標に、主将としてチームを引っ張った。そんな荒川の4年間を振り返る。

 

 荒川とソフトボールの出会いは大学に入ってからだった。小学校から高校までは野球をプレーしていて、高校では4番も打っていた。早稲田大学に入学すると、野球を続ける気はなかったが何かスポーツをしたいという思いがあった。そこで、高校の先輩が在籍していた男子ソフトボール部に体験に行くと、高校時代の野球部に近いのびのびとした雰囲気や本気で日本一を目指せる環境に惹かれ、入部を決意。入部当初はマウンドとバッターボックスの距離の近さによる野球では経験したことのないスピード感や、ライズボールに戸惑い苦労したという。また、コロナ禍の影響で全体練習ができず、思うような活動ができない状況だった。それでも、「本当にプレーするのが楽しかった」とグラウンドに行ってチームメイトと自主練習をする日々を送った。

 

最後のインカレでは4番を務めた荒川

 

 2年生になると、試合に出始めるようになった荒川。夏の全日本大学選手権(インカレ)で代打出場しヒットを打つと、東京都大学連盟秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)では全試合に出場。ここで、「3年生ではしっかりレギュラーとしてインカレに出たい」という気持ちが芽生え、一番差をつけることができると考えた冬の期間の自主練習にも毎日励んだ。3年の東京都大学連盟春季リーグ戦(春季リーグ戦)からはレギュラーとしてスタメンに定着する。春季リーグ戦は4位だったものの、インカレでは2回戦で前回王者の日体大に劇的なサヨナラ勝利、準々決勝の神戸学院大戦では荒川の決勝本塁打で勝利するなど、ベスト4という成績を残した。

 

 4年生が引退すると、投票制により主将に就任。「正直そこまでなりたいとは思っていなかったが、チーム状況を見て覚悟はしていた」と振り返る。それでも「勝つことが絶対で本当に優勝だけを狙ってチーム作りをしていかなければいけない」と主将に就任した際に決意した。インカレで優勝できなかった原因を追究し、冬の期間はフィジカル面のトレーニングに重きを置いた。また、班に分けてミーティングを行い部員に発言する機会を作るなど、チームの風通しの改善にも努めた。選手主体の男子ソフトボール部では自らのマネジメントによってチームの方向性を決めることができたが、それゆえにチームの先頭に立って決断を下すことやチーム全体の状況をしっかり把握することが難しく大変だったという。しかし、「いろいろ相談させていただいた」と、前年度の主将を務めた尾松大輝氏(令5政経卒=大阪・清風南海)や歴代の先輩方にアドバイスを求め、苦難を乗り越えていった。

 

 最上級生となり、優勝を目指して挑んだインカレ。1回戦に勝利すると、前年と同様に2回戦で対戦するのは日体大。相手の強力打線に圧倒され、みるみるうちに点差が開いていく。6点ビハインドで迎えた5回裏、先頭打者に本塁打を浴び7点差に。ここで試合規定により、コールド負けを喫した。「外野で特に何もせずあっという間に終わってしまった。終わっちゃったなという感じで不思議な気持ちだった」。荒川の最後の大会はこうして幕を閉じた。

 

インカレではセンターを守った

 

 主将を務めた1年間を「本当にきついことの方が多かった」と語ると同時に、「人間として非常に成長できた1年間で、本当に貴重でありがたい時間だった」とも振り返った。競技は大学卒業とともに引退し、一般就職をする荒川。人間的に成長できた男子ソフトボール部での4年間を糧に、新しいステージでも歩みを進めていく。

 

(記事 沼澤泰平、写真 星野有哉)