江戸時代、文化13年(1816)寺男の伝蔵が、畑を耕していたところ、カチリと鍬に当たるものがあった。そこで不思議に思って掘り下げていくと、ピカピカ光る小判が、出てきたのである。
驚いた伝蔵は、住職のところへ、飛んで行った。二人で調べると出てくるは、出てくるは、なんと189両もあった!これならば、まだまだそこらにあるかもしれないと思って、二、三歩離れたところまで掘ってみた。すると、またまた200両の小判が出てきたのである。結局しめて389両になった!!
驚いた住職は、翌日、奉行所に届け出たが、この大金は、誰が埋めたのか?
大泥棒か?あるいは、大金持ちといわれた五代前の住職、慧燈のものか?実施検証した奉行所でもわからなかった。
それから27年経った天保14年(1843)5月にも、普請のため境内を掘っていたところ、大枚800両‼という小判のぎっしり詰まった壺が出てきた。この時は四代前の住職の書き付けが出てきて、めでたく宝泉寺の所有となった。
と言われるお話しが残っております。

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