僕は吉野家で働いてます。 来る日も来る日も豚丼を盛っています。


うちの店は毎日かなりの入客があり、その中に外国人がいる事も多々あります。 たいてい吉野家に来る外人は変な奴等ばかりです。 


いつも牛すき鍋膳を頼んで半分以上残す外人は、僕が「並盛りでよろしかったですか?」と尋ねると決まって


「うん、波乗り」


と答えます。 サーファーなのでしょうか?


また注文をとっている時にはカタコトなのに、会計のときだけ「おあいそ」と専門用語を使う外人もいます。

まず並、大盛、特盛から覚えて欲しいところです。


今日も外人はやってきました。 その外人は落ち着きが無く、何かぶつぶつ独り言を言いながら食べていました。 

その外人は焼肉丼を食べ終え、僕はその会計をしました。 そして会計を済ませ立ち上がる瞬間にまた独り言を言いました。


「・・ハラヘッタ」


僕はびっくりしました。 彼はしっかりと焼肉丼を平らげていました。 しかも大盛です。 僕は耳を疑いながら勤務を続けました。


そんなこともすっかり忘れていた一時間後、僕は謎の腹痛に襲われました。 

勤務続行が不可能になり、少し休憩をもらいました。


そして、僕は休憩室で腹を押さえながらさっきの外人を思い出しました。

もしかしたらさっきの外人


「ハライタ」  


といってたのかもしれない・・・。 彼は僕の腹痛を予言し、注意してたのかもしれません。



怖くなってますます腹痛は悪化し、僕は早退しました。



そんな怪談でした。




更新が滞りすぎなので、今日一日を振り返ってみます。


8:00  起床 


10:00 間違えて池袋行きの山手に乗る 


10:30 学校に着く 弾き語り練習


12:00 ざるそばを食べる


13:00 急遽アコギ講座


14:30 かえるのうた


14:40 授業に向かうがUターン


16:00 山手が動かない


16:20 鮭おにぎりを食べる


18:30 みんなの演奏を聞く


19:20 夏の魔物 キーを下げすぎる


19:30 かえるのうた


20:30 クリームチーズメンチを食べる


21:30 傘を大量に調達する


22:00 歩く


22:30 暴露させられる


23:30 終電のためにとても速く走る


24:30 帰宅


25:00 後悔  









真面目に書き込みます。


昨日の屋根裏合格はまじで嬉しかったです。 帰りの電車で色々思い出して泣きそうにもなりました。

上を目指して行くにはこれくらいのことでいちいち喜んでたらダメなんでしょうが、しばらくは喜ばせておいてください。


なんでこんなに嬉しいのか、それはつらい事がたくさんあったからです。 去年同じところで落ちてベースが「辞める」と言った時には、ほんとに僕はどうすればいいのかわからなくなりました。

こうしてみんな好きな事を捨てていくのかな、とか思いました。


でも、その時僕は「意地でも続けてやろう」、「最終的に一人になっても続けてやる」と逆に燃えました。

「努力をし続ければ、必ず結果は出る」といつも考えていたので、絶対に辞めたくありませんでした。


今色んなアーティスト達が世に出ている理由に、「上手いから」、「曲がいいから」といった要素がある事は確かですが、間違いなく「自分を信じて辞めなかったから」という要素もあると思います。

何回かライブをやって、毎回「上手い」人達に会います。 けれど、彼ら全員が売れていくわけでは無いでしょう。 何かしらの「壁」にぶち当たって辞めていくのだと思います。  

よく「なんでこいつらあんまり上手くないのに出てきたんだろう」と感じるようなバンドが出てきますが、それは他のバンドよりも「忍耐力」があったからだと、僕は思います。


これからまた色々つらい事にぶち当たると思いますが、僕はけっして辞めません。

努力し続ければ必ず壁は越えられます。 「成せば成る」です。



とりあえずこれからも頑張ります! 応援よろしくお願いします!


そしてチケット買ってください~!(>_<)




 











  


 下で長坂が珍しく感情をあらわに喜んでいますが、先日行われた下北沢屋根裏のオーディションライブに何とか合格しました。

 個人的にはライブ後に若干の消化不良感を持っていたこともあり、ライブハウスの担当の方との面談におもむく時にはテンションの最低点を超えて「何を言われてもしっかり課題として理解して持ち帰ろう」という覚悟で心が固まっていました。

 面談が始まっても「今日の演奏、自分たちでどう思いました?」という質問から話が始まり、バンドの課題がどこにあるのかという話題に終始していたので、全員がうつむいて不合格を確信していたのですが、最後の最後に(本当に話の最後の方だったんです)「結果の方ですが、合格ということで…。」と言われて、どう反応していいか分かりませんでした。実際、面談が終わった時は葬式から帰ってきたような顔だったと思います。

 ライブハウスが入っているビルから出てきた時に、見にきてそのまま残っていてくれた人達と技術屋さんが待っていてくれて、「合格しました」みたいな話題になった時に、本当にうれしいんだけど混乱していて表情に出せないという事態に久々に直面しました。むりやり笑おうとして少し顔が引きつりました。

 合格自体はとても喜ばしいんですが、面談の時の感触からしても、僕らが今の課題を超えていければ…という感じの、いわば条件付き的な合格だったと思います。つまりは曲自体の力とアレンジの作りこみで拾った合格であるとも思うので、自分自身は持ち帰ったのは課題だけくらいのつもりでやっていきます(だから今後もスタに平穏が訪れることはないと思われます。みんな我慢してつきあってね)。

 非常に長くなってしまってごめんなさい。
 最後に、他のメンバー(彼らが僕を受からせてくれたようなものですから)と、わざわざ待っていて一番に祝ってくれた村田君、上原君、技術屋さんに感謝したいと思います。
 凄く思い出したくなさそうな雰囲気がみんなの文面から伝わってきて、非常に申し訳ない気分になりました。メンバーのみんな(+α)それでもわざわざ書いてくれてどうもありがとう。

 実はまさすけの初投稿を喚起するという裏の狙いもあったりしたんですが、余計なお世話でしたね。

 ついに授業が始まって、教室で居心地の悪さに耐えています。
 大学入学以来、外国語会話の授業がことごとく厳しい先生にばかり当たってしまうんですが、今年も例外ではない様子。
 困った…。

p.s. トップのカウンターの555を踏みました。

早稲高前のampmを皆さんなめていませんか?



少なくとも僕はなめていました。 


先日書いたとおりあちらの店には「つきたて」さんという方が働いておられます。


しかし、あの店にはもっとインパクトのある名前を持つ方がいらっしゃいました。



その名も


「おまた」




・・・・。  下ネタか~。









・17歳のとき何してた?


鬱病。


・17歳のとき考えてた事は?


青春について。


・17歳のときやり残したことは?


青春。


・17歳に戻れるとしたら?


戻りたくない。


・バトンを回す人


モーリスグリーン。

・17歳のとき何してた?

 野球ばっかりやってましたね。小さい頃からの夢だった甲子園の舞台に立ちたくて、一心不乱にバントの練習をしていた記憶が今でもいい思い出です。自己記録の101回の送りバント成功は僕の誇りです。

・17歳のとき考えてたことは?

 僕は巨人ファンなのですが、やはり川相選手のバントは職人技だと思います。だからどうやったらライ

ンギリギリにボールが転がるかとか、守備の裏をつくにはどうしたらいいかとかそんなことばかり考えてい

ました。当時の高校の監督は豪快野球とか魅せる野球が好きで僕とは意見が合わず、一年生の時はベ

ンチで椅子を暖めていることがすごく多かったんです。でも未熟児で生まれ、体が他の人より小さい僕に

とって、大好きな野球でチームのために役立てることといったら、バントしかなかったんですよね。だから

来る日も来る日も僕にはバントしかないんだぞっていうのを監督にアピールしていたんです。そしたら甲

子園行きを決める地区大会決勝でとうとう僕にとっての最高の舞台が回ってきたんです!九回裏0-0、

ノーアウト二塁で監督は代打に僕を使ってくれたんです!!あの時の監督の言葉は今でも覚えていま

す。

「お前の野球を見せてこい」

僕は監督のそんな気持ちに感動して思わず涙が溢れて、前が見えないくらいに泣いてしまったんです…。

そのせいで送りバントは失敗しちゃんたんですけどね(笑)でもそのあと代打の佐々木君のサヨナラ安

打で甲子園には行けました!関西のたこ焼きには脱帽です。


・17歳のときやり残したことは?

 自分としては、いろんな事をさせてもらったんで、今でもできることならともかく、あの時にしかできないことはそんなにやり残してないと思います。ただ、やっぱりホームランを打てるような選手になりたかったのは事実ですね。だからあのとき監督の意見を聞いて練習に専念してれば、そんな選手になってたんじゃないかっていう気持ちはちょっとありますよ(笑)

・17歳に戻れるとしたら?

 もうあの監督は勘弁してほしいです。ただそれ以外の野球生活なら戻るのもいいかもしれないと思います。もう一度甲子園の舞台に立ちたいなって想いもありますし。

・バントを送る人

 できれば川相選手にやってもらいたいです。