まぁ結局は
その瞬間を判断する行為に
他に『成すすべがない』
ということなのだろうから、致し方ないのだろうが
例えば高齢とか病気とか
或いはもしかしたら事件とか事故とかで
ニュースとかでも、一般的には人が絶命する瞬間の事を『心肺停止』を基準にしてはいるが、呼吸が止まったり心臓マッサージをしても血液を送り出す機能が動かないとかいう場合を「〇〇時〇〇分に死亡が確認されました。」とかの表現を使うが、実際にはまだ他の臓器、つまり大脳も感覚があるし、耳も聞こえているし、皮膚の痛みとかを『まだ意識が働いている』という状態だということだという情報が有る。
現代の文明では
他に『人間の魂が宿っている筐体である人間の肉体の終焉は心肺停止を判断の基準にしている』のだろうが、実際には呼吸と心臓が止まれば、それでもう手立てがないということになる。
だが他の臓器の感覚は
まだ確実に機能していて、体さえ動かせなくても魂というか脳の意識はまだ生きているので、皮膚の痛みや冷感温感とかの触覚や聴覚と嗅覚のあらゆる感覚とかが、まだしばらくこの世で機能しているということらしい。
だから人が
死んでしばらくしてからも、もう既に肉体を火葬にしたあとも、肉体を離れた魂だけが、この世にしばらく滞在していて、自分の大切な家族の元に訪ねていったり過去の知り合いとか友人とか愛した者達の所に訪ねて行ったり 最悪の場合はこの世に未練に残して霊として彷徨っていたり仲の悪かった相手に化けて出たりするのだ、という魂の実在が伺われるとしか思えない。