谷村新司のように
多くの人々に惜しまれながら亡くなる人と、周りの人間に邪魔な扱いを受けたり、人生で何か偉大な功績も残さずに、歳を重ねるだけで厄介者として、介護とか受けたり文句がましかったり口やかましい行為とか何かの役にも経たないくせに誰かの悪口とか言う年寄りならばつまりそれは死んだら清々されるのは、おそらくその人の人柄と言うわけで、高齢で人に迷惑をかけて生きてるだけならば、その惜しまれるか惜しまれないかは、その人の人生の全てが、自業自得の見返りということなのだろうと思う。
ならば誰もが
どうせ死ぬならほんの少しでも世の中の役に立って
誰からも惜しまれて死にたいと思わないだろうか?