たとえそれが


全ての人間にくまなく


『万事平等な運の量』存在しているとしても


たとえば若い頃に散々苦労して、老後や晩年に幸せな時を過ごせても、或いは逆に若い頃に何一つたりとも最悪の自己中心的悪しき我儘放題の社会不適合の人生を重ねて、それとも学校に行かないのも自由だと不登校だとか、嫌悪感やイジメとかに耐えられなくて戦いを拒否して逃げて生きても、挙げ句の果てにそのせいで結局は晩年に自殺まで視野に入れなければならないくらいの大問題を抱えていようと、苦労の顛末を迎えたにせよ、それらがいかなる形でこの世を去る瞬間であろうとも、その天に召される時に、正直にこの世に貢献したこととか、真面目に働いて真摯な生き方をしても、或いは自分の犯した罪や失態も悪行であろうとも、いかなる善悪も全て、自分の過去が自分の人生の役に立ったと確信出来なければ、確実にその人生は元も子もない台無しの人生だと言わざるを得ない。


人生の末期に


それぞれの人間ごとに生きた証とか、自分は幸せな人生だと思えずに、苦痛に満ち溢れた晩年ならば、もはやその人間の人生は、元も子もない失敗だと、悟って悔い改めなければならないだろう。

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