或いは
別の言い方で
宿真と呼んでも
良いかもしれない。
そもそも写真とは
言わずと知れた『まことを撮したもの』なのだが、『まことが宿っているもの』という経験をしたことがあるだろうか?
たとえば誰か
生きていた人の写真が、その方が亡くなったあとに、激しくピンボケのような、またはどこかボケた写真になってしまったのを見たことがあるかもしれない。
つまり要するに
おそらくではあるものの、そういう現象が起きるのは、いくつかの写真には、その人の意識というか魂というか、生きていた時にはまさに魂が宿っていたのが、死の後に宿っていた写真から離脱した為だと、そういう解釈をしたほうがいいかもしれない。
だからあまり
あなたの大切だった人の思い出とか、大好きな人の写真でない限り、場合によっては、あまり関係ない写真だとか、好きでもない人の写真とか、嫌いな奴の写真だとか、或いはケンカ別れや関係の悪化した人の写真は、もしかしたら思いついたら、出来れば早めに処分して、なるべく不用なものは溜め込まないほうが良いのではないかと思う。
たとえそれが
写真ではなく動画の場合でもだ。