興味の欠片もない ということの証し


これの前のページで、お笑い芸人の中の『三大芸人』のことを、たけしとタモリと所だと思って、あの時はそう書いたのだが、あとから その間違いに気が付いた。


三大芸人は誰なのかも興味の欠片もない


そもそも、世間で三大芸人とかって呼ばれているのが たけしとさんまと松本人志だということも知らないし、そもそもさんまなんてあの時点ではまるっきり眼中にも無かったし一切思い浮かばなかった。


だいたい さんまなんて


一切、何一つとも面白いと思ったこともなければ、何よりもあのウザい騒がしい喋り方と、全国放送に関西弁を散々広めてしまった罪は重大であって、正しい日本語も標準語も、散々奴の方言によって乱れに乱した罪の重さは計り知れない。


あの男さえ出て来なければ


何がそんなに面白いと思われて人気があるのかも分からないのに、関西だけでお笑い芸人をやってればそれで良かったのに、いったい何故に東京にワザワザ遙々上京してきて、デリカシーの欠片もない喋り方で標準語も乱し、日本語も乱し、ついでに『がさつなさ』と『ヅケヅケと他人の懐に入り込む遠慮会釈の欠片もない関西人の厚かましさ』さえも日本中に広めた奴のような関西人がいるから、この国の文化も散々乱れてしまうのである。


これじゃぁまるで中国のようだ


恥じらいと遠慮と奥ゆかしさで情緒豊かだった日本人を、まるで遠慮もマナーもデリカシーもモラルの欠片も まるっきり無い 中国のような はしたない国にしてしまったのは、明らかに明石家さんまのせいではないのか。