そらまぁ、誰だって“基本”そうだとは思うけど

 

それにしたって、誰しも まさに『所詮は他人ごと』ということ。

 

世界中で起きてることも 自分の廻りも

 

自分の廻りの人々も、それについては何一つとして全く変わりは無い。

 

ウクライナはまだ、西側諸国からの『軍事支援』を受けてるだけまだ“良い方”で、その軍事支援すら受けられない『世界中から見放された』ミャンマーの一般人の『反政府勢力』と不本意ながら軍事政権から一方的に呼ばれている人々は、軍事政権側にはロシアや中国からの軍備などの『莫大なバックアップ』をいいことにして反政府勢力の一般人を悉く虐殺し殲滅させようと目論む身勝手な極悪非道な政策を継続している。

 

みんな冷たい

 

ウクライナ国民にしろミャンマーの一般人にしろ、たとえ西側諸国からの『軍事支援』が有ろうと無かろうと、結局は「あなた方自身のチカラで自分のことはナントカしなさい。」と、突き放されている状況であることには変わりは無いわけで、結局は大なり小なり、人間という生き物は『誰もが自分さえ良ければ、自分にさえ災難が振りかぶらなければ、自分さえ困った状況に陥らなければ、自分さえ無事に生き延びることが出来れば、たとえ自分の側の“味方”であろうと、昔ながらの“仲良しだった者同士”だろうと、ひとたび極限状態になってしまったら、結局は“あとはご自身でナントカして”よね。』と、見放す『冷酷な生き物』なのだということがこれでよく分かったし、誰もがみんな例外なく そうだということを、これからもずっと心に刻んでおこうと痛感した。

 

孤立無援

 

人が本当に困ったときには、誰もがみんな『シカトぶっちぎり』こいて誰の援軍も期待できないということ。

 

一番手を差し伸べて欲しい時に

 

一番困っているときに、一番助けて欲しいときに、その『一番手を差し伸べて欲しい究極の困難な状況に陥ってしまっている瞬間』には、もう誰からも助けてもらえないということがハッキリと理解できた。

 

みんな自分だけが大切

 

結局、人に頼ることなど『無駄な希望』でしかないのあって、人なんて一切信じられないし、誰もが自分のことだけが大切なのだし、誰もが『他人のことなど知ったことではない』という、人間というのは誰もがみんな冷たいのだとしかいいようがない。