ソンナコトをしに生まれてきたのではない
苦しみ抜いて生き、そこから何かを『悟る』為にワザワザこの世に生まれてきたわけじゃない。
あえて安っぽい言い方をすれば、むしろ出来る限り『楽をして人生を極力楽しく送る』為に生まれてきたのであって、よく言うような「若いときの苦労は買ってでもしろ」だの「楽有れば苦あり、苦有れば楽あり」とか、そういった苦行を積んで悟りを開くだのという行為そのものが『ダサすぎて』ドッチラけしてしまうわけで、それこそ今どき流行らない。
つい昨日だったかのテレビでも
高校の運動部とかで昔『シゴキ』の目的でどこでも平気で行われていた『ウサギ跳び』が、近年身体を鍛えるためになど何の役にも立たないどころが、むしろ脚の外側の骨を無理矢理 急激に多大な負担を掛けて酷使するために、いつの間にか『骨折』してしまうという悪影響しか与えていなかった為に、現代では一切ウサギ跳びなんかやらなくなったということや、運動部の練習時間中には一切の水を飲むことを禁じた馬鹿な『イビリ』のような行為も、今ではもちろん、あまりにも下らない非常識な行いであるという事が分かって、今では誰もが当然、運動中に適度な水分の補給を行うというのは常識となっていることと考え方が同列であって、今どき『ド根性』だの『鍛える』だの『試練の道』だの『精一杯頑張る』だのというバカげた根性論などクソほども役になど立つはずなど無いことは明らかだ。
だから行き着くところ、つくづくバカげた
『努力』という行為
当然、無理をおして自らを犠牲にして、それこそ『献身的に』心身ともにボロボロになってまで懸命に他人に尽くすだの『世のためヒトのために僕は頑張るんだっ!』なんてダサすぎバカすぎマヌケすぎな哀れな愚者の考えは、今どき一向に流行りもしないし鼻で笑われて見向きもされない。
武田鉄矢も白状したし(笑)
例の、奴の昔流行った学園ドラマの番組内での『伝説の名言』とされてきた「人という字はヒトとヒトがお互いに支えあって生きているんです!」なんてバカげた下らない言葉も、武田鉄矢は「あれは真っ赤な嘘です!」と、近年になってから様々なバラエティー番組等で白状したし、昔は「ヒジキは鉄分が豊富」とされてきたのに、今じゃ『ヒジキを茹でる釜が“鉄製”だったから、ただ単に鍋の鉄分がヒジキに移っていただけ』だということも研究によって判明したし、どれもこれもひたすら『お粗末』だとしかいいようがない。
『信じる者は救われない。』
今に始まったことではないが、他人の言葉を安易に信じて、それで一生懸命それに洗脳されて ひたすら信じ切って従って生きたところで、決して報われることなど微塵も無いし、誰も一切それこそ『信じる者は救われない。』のが真実だ。
あぁ、何とも哀れな人間という存在なのだろうか。